2007.12。公開開始。
このブログは み羽き しろ の執筆活動の場となっております。
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その視線には、すぐに気付いた。
馬上で。
男の腕の中にすっぽりと包まれて。
右足の腱を切られたばかりで、高熱と痛みに奥歯を噛み締めながら、それでも。
その視線には、すぐに気付いた。
「ハルノア。宮殿にゆく。」
「・・・。」
「国王のお呼びだ。勿論、我が帝国のな。」
「あたしも、行くの?」
「嫌か?」
「別に・・・。」
「ならば、まず城に行くための儀式を済まさねばな。」
「儀式?」
「我が帝国では、飼育した性奴の足首の腱を所有者が切る事になっている。」
「・・・。」
逃げ出したりしないように、と男は言った。
滑稽だが、抵抗しないのか、とも聞いてくれた。
私には逃げる場所も、逃げる意思もなかったというのに。
男は時折、妙に優しい。
「そう・・・。」
おかしな話だが、冴え冴えとしたアメジストの眼差しに捉えられても、男の握るタガー(短剣)を見ても、私には怖いという感情はなかった。
ただ、私の運命などこんなものだ、と。
流れる血を見ても、燃えるような痛みに襲われても、何も感じない。
男に仕える女奴隷が血止めの薬草を手際よく足首に巻き、花びらに包んだ解熱草を私の口に押し込んでゆく。花びらには麻薬の作用があり、解熱草と一緒に飲むと意識が混濁として痛みを忘れさせてくれるらしい。
ただ、中毒になり易いのか、あるいは高価なのか、私が薬らしい物を口にしたのはこの一度だけだ。しかも、こんな状態でも性奴としての仕事は休ませてくれない。
男は時折優しく。
そして、いつも残忍だった。
ハルノアを拾った男は、この海の王国に進攻し、民からすべてを奪った大帝国の第一位にある将軍で、名をヒショウと言った。
手入れの行き届いた褐色の肌と、鋭利なアメジストの瞳を持ち、端正な顔立ちは美女と名高いこの国の皇女に引けを取らないのではないかと思わせるほどに整い、隙のない身のこなしはしなやかな獣を連想させる貴公子だ。
女など、選り取り見取り。放っておいても向こうから媚を売り誘ってくるだろうに。
何も路地裏で拾った醜い娘を相手にする必要など少しもないものを、毎晩毎晩、散々にハルノアを慰み者にした挙句、その脚の腱を平然と切る神経は、男の見た目を見事に裏切っているだろう。
容姿端麗。眉目秀麗。そんな言葉も、この男の性奴となったハルノアには嫌味なだけだ。
女奴隷が血で汚れた床を掃除しているその目の前でハルノアをいたぶる男。
必死にシーツを掻き毟り痛みに耐える女の顔を平然と見下ろして。
これが、大国の将軍というものなのか。
これが、勝国の特権であり、敗戦国の末路なのか。
明け方近くまで散々嬲られて、疲れ切った身体を休ませるヒマもなく激痛に襲われ続ける。
噛み締めた奥歯から血が零れ、ハルノアの唇を紅で彩ってゆく。
「昼まで寝ていてよい。出発前に手と足に枷を嵌め、鎖で繋ぐゆえ。」
「・・・。」
「なに、所有の証しだ。性奴は誰でも受け入れるのが習わしだが、鎖で縛られた者は例外とされる。所有者の赦しなく他の者が手出しする事は出来ぬ。」
それは、ハルノアにとって意外な言葉だった。性の奴隷と言いながら、ハルノアを他の男には触れさせないと言うのか。それとも、男が飽きるまでの事なのか。
ハルノアが虚ろな視線で問いかけたが、男は無視して部屋を後にした。
それから暫らくして、ハルノアは馬上のひととなった。
痛々しいほどに細い手首足首を厳つい枷が捉え、重い鎖がその枷を繋ぐ。
ハルノアが濡れた視線を向けると、遥か後方に同じように繋がれた女達が疲れ切った身体を引き摺るように歩いている。鎖は、女達を一列に繋いではいるが、その端を持つ男はいない。誰かに所有されていない女は、完全な性奴隷だ。死ぬまで、敵兵達の慰み者なのだという。
「ゆくぞ。」
男の声に、ハルノアは女達に張り付いていた視線を無理やり引き剥がす。明日は我が身だ。
それでも、もう何も感じない。心はとうの昔に死んでいる。今更この身体がどうなった処でハルノアにとっては意味などない。
ただ、ふと感じるのは、自分を腕に抱く男の体温だ。
「あたたかい・・・。」
ぽつりと呟いたハルノアに、男は冷たい流し目を寄越した。
何か言いかけたが、結局それは言葉にならず、そのまま馬を歩かせる。
男の愛馬は、神馬と呼ばれる漆黒の一角獣だ。グゥオーネというらしい。美しく気位の高そうな顔立ち。飼い主にそっくりだ。
やがて、津波のように襲ってくるざわめき。
囚われた女達に対する憐みと、同情と、侮蔑と。
敗戦国民の複雑な視線にさらされて、ハルノアは白亜の宮殿へと向かう。
だが、これだけの人間が集まっていながら、この国の王女の顔を誰も知らないのだ。
滑稽だった。
ハルノアは高熱に苦しみながら笑いを噛み殺す。
最初から解っていた事だが、この国に自分の居場所など何処にもなかったのだと改めて思い知る。
「どうした。」
「なにも。」
「そうか。」
そんな単語を並べていた時だ。
その視線に気づいたのは。
『ノア・・・。』
男の呟きは、喧噪の中に掻き消える。
『どうして・・・。』
呆然と、けれど銀の瞳が食い入るように見つめるその先。
漆黒の神馬と闇色の男。
その、褐色の腕の中。
ハルノアは、笑った。
心の中で。
晴れやかに。
自分を見つめる銀の瞳。
誰よりも焦がれ、そして憎んでいる男の視線。
生きていたのか・・・。
あの男。
ハルノアは、咽喉の奥で呻いた。
初めて、生きていて良かったと思えた。
「地獄に・・・叩き落してやる・・・。」
高熱と痛みに奥歯を噛み締めながら、それでも。
その視線には、すぐに気付いた。
それは。
ハルノアの復讐劇が、静かに幕を開けた瞬間だった。
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