2007.12。公開開始。
このブログは み羽き しろ の執筆活動の場となっております。
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白い指先がシーツの波に溺れている。
後ろから揺さぶられ続けてどれほど時間が過ぎたのか、もう娘には解らない。
目覚めたら暗いテントの中。
見知らぬ男の下にいた。
腹の奥に、熱が広がる。
聞いた事のない水音が耳を打つ。
どうしようもないほどに身体が震える瞬間。
頭の中が真っ白になってあの日の事を思い出す。
『あのように生まれつくのなら、せめて血筋を違えてくれれば良いものを・・・』
『陛下。そのように申されますな。生まれてしまったものは仕方ありません
聞きたくなかった。
敬愛する人と、叶わぬ想いを向ける人の会話。
生まれてしまった・・・仕方ない・・・。
なんて惨い言葉。
なんて心ない会話。
あの日から、すべてが色褪せてしまった。
あの言葉から生まれたのは底なしの絶望。
そして諦め。
儚い希望すら打ち砕かれて、何もかもを手放した。
私は存在していない。
誰の傍らにもいられない。
王族なんてうそっぱち。
きっと、この身体に流れているのは腐った血に違いない。
だから、カス、なんだ。
生まれるんじゃなかった。
こんな国に、こんな世界に、こんな家に、こんな時代に。
死んだら二度と生まれ変わったりしない。
きっと生まれ変わったり・・・しないから・・・。
「あっ・・・あっあっ・・・。」
何度目かも解らない熱に身体の奥を焼かれてベッドに沈んだ。
汗で額に張り付いた黒髪が、そっと長い指先で掻きあげられる。
男は、時折ひどく優しい仕種で娘を戸惑わせる。
恐ろしい男だと聞いていた。
この男が通った後には屍の山しか残らないのだと。
美しい男ではあったが、表情に乏しく、感情が希薄で心がない。
それでも、娘を腕の中に閉じ込める時、男は小さく笑った。
嘲笑っているのかもしれない。
でも、その区別がつくほど娘は男の事を知らない。
「ハルノア・・・海の王国では死者を意味する言葉だと聞いたが・・・。」
「・・・。」
「なぜ、その名を使う。娘、そなたの本当の名は?」
「ハルノア・・・。」
「不吉な名だな。」
「・・・名前に意味を見出すなんてくだらない・・・。」
「確かに。」
「あなたの国では、何か意味がある?」
「いや。」
「じゃあ構わないでしょ。」
「ああ、そうだな。」
ハルノアというのは娘の本当の名を少しいじったものだ。
娘の本当の名は『ハルア・ノア』。『ハルア』は海を意味し、『ノア』は玉を意味する。要するに『真珠』という意味だ。随分と嫌味な名だと娘は思っている。
「あ・・・。」
男は真上からハルノアの顔を覗き込み、腰の位置を変えた。
「まだ足りぬ・・・。今夜は眠れぬと覚悟しろ。」
囁く冷たい声音には、刃物のような煌めきがある。
ハルノアは男が動き易いようにと膝を立て、その体躯を深く抱きしめた。
二人の間に愛情がある訳ではない。
ましてこの男には欠片の情もありはしない。
ただ、ここは男にとって遠征の地であり、ハルノアは生理的現象をまぎらわせる相手に過ぎないのだ。
「ん・・・っ。」
それでもハルノアが抵抗しないのは、一瞬先の事ですら、もうどうでもいいからだ。
ハルノアはひと月前、殺されかけているのをこの男に拾われた。
ハルノアを殺そうとしていたのは城の下男で、もちろん、ハルノアが誰なのかを知っていた。
結局はこうなるのだと、冴えた頭は理解していた。
でも、嘔吐を堪える事はできなかった。
『どうしてなの・・・。』
蹲る形で一人の男に身体を押さえつけられ、もうひとりの男が鎌を振り下ろそうとした刹那、呟いたのは諦めだった。
今殺すなら、もっと早くに殺して欲しかった。
あの会話を聞く前に。
絶世の美貌を誇る姉は、今も多くの騎士達に守られ、王城に籠城し、抵抗を続けている。
それなのに自分は、城下町の路地裏で、惨めに跪き、死を迎えるのだ。
悲しかった。
遣る瀬無かった。
そして、憎かった。
人を、姉を、父を母を、この国のすべてを憎いと思ったのは、この時が初めてだった。
同じ黒髪。同じ銀の瞳。顔の作りが違うというだけで、自分の姿形は姉と瓜二つ。
ただ醜く生まれついてしまったというだけで、なぜ。
『ノア、お逃げなさい。貴女だけは生き延びて。』
そう言った姉の言葉に泣いた自分。
『愛しているわ、ノア。逃げ道も、生きる術も用意してあります。行きなさい。私の妹。ただひとりの貴女。ハルア・ノア。貴女は、自由よ。貴女を待っている人がいます。』
落城前夜。
姉に背を押され部屋を出た。暗い隠し廊下を駆け抜け、指示された場所へ。
けれど、ハルノアを待っていたのは下卑た薄笑いを浮かべた首切り役人だった。
引きずるように城下へ連れ出され、混乱し逃げ惑う民の目を避けながら行き着いたのは汚れた路地裏。
数匹の鼠がハルノアの足元を走り回り、その指を噛んだ。
『どうしてなの・・・。』
理由など、あってもなくても同じ事。
首が落ちる寸前に、誰かの足音を聞いた。
それが、敵将だったのは偶然だろう。
今はもう、どうでも良い事だが。
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