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だから、クッションに爪を立て、必死に空気を吸い込んだ。
豪奢な装飾に隠れたスイッチひとつ。
遮光カーテンが音もなく開いたのは少し前だった気がする。
高級感たっぷりのレースがふんだんに使われた真っ白いカーテンの隙間から、
目映いばかりの日差しが差し込む寝室。
壁一面が窓。
外はスカイブルー。
ぽっかりと白い雲。
「アァ・・・アッ、ァッ。」
揺れる私の躰。
揺らしているのはスティーブだ。
「怖くないでしょ? 痛くない?」
優しく聞かれても、私の喉は焼け焦げてしまっていて。
これ以上はないほど背を撓(しな)らせて。
目の前のクッションに縋り付くのがやっとで。
そこは・・・違うっ。
挿れないで・・・っ。
私の怯えた声に、スティーブは濡れた舌で返事を誤魔化した。
本来は挿れられる場所じゃない。
そこを執拗に舐められて。
「大丈夫。優しくするから。」
濡れた吐息と共に何度も囁かれて。
私の腰が砕けるまで。
熱く優しく愛撫は繰り返されて。
諦めて、覚悟を決めたけど。
「気持ちいい?」
優しい声が、耳朶に直接響く。
聞かないで・・・。
解んない。
でも、痛くない。
少し苦しいけど。
「いつも、無理やりだったからね・・・。」
「ひ・・・あ・・・アッアッアッ。」
「もしかして、ディアンも?」
「クゥッ。」
「やれやれ。ウィンより理性はあったはずなのにな。相手が姫ちゃんだと、やっぱり
タカが外れたか・・・。」
意味の解らない言葉。
意識を素通りする恐怖の記憶。
以前は、痛くて、苦しくて、怖いだけだった。
この行為は。
なのに。
「あぁっ。ンッ・・・、ンンッ。」
しっかりと私の腰を掴む大きな手。
私の中を熱く掻き回すカタマリ。
濡れて滴る喘ぎ。
恥ずかしいのに。
どうして?
どうしてスティーブだと、こんなに違うの?
「こっちはね。やっぱり相性があるんだ。本当に嫌がる女性(ひと)もいるし。慣れて
しまえば平気になる女性もいる。でも、やっぱり男の性格に左右されるかな。」
テクもだけど・・・。
男が自分本位だとダメみたいだよ。
あと、せっかちな男もダメだろうね。
緩やかな突き上げで私を喘がせながら、他人事みたいに・・・。
ああ・・・でも。
違う・・・。
同じ事をされているはずなのに。
ウィンやディアンさんと、ぜんぜん違う。
私の躰が、餓えているから?
一年半。
この躰は誰の物にもならなかった。
誰かに所有されていたなんて、ずっと忘れていたのに。
欲しいとも思わなかったのに。
私にとって、肉体的な関係は恐怖以外の何物でもなかったから。
それなのに・・・。
「シ・・・ツ・・・汚れ・・・ちゃうぅっ。」
高級ホテルのシーツだよ。
洗うのは顔も知らない誰かだよ。
こんなに・・・こんなに汚して・・・っ。
「くすくす。姫ちゃん、余裕だね。」
だって、膝がヌルついて・・・。
クッションが、べとべとっ。
「ッ。あぁぁっ。」
余計な事を考えてる私に、深い突き上げ。
余裕なんてぜんぜんないけど。
だけど、変な事考えてる。
その自覚がある。
後ろからずっと。
何回イッたか解んない。
何回イッても終わらない。
ダメ・・・もうダメ。
「気持ちいい?」
「あっ、あっ、あ・・・。」
クッションに額を擦りつけて。
待つの。
あの瞬間を・・・。
「スティーブ・・・スティーブ・・・っ。」
「うん?」
どうしてこんなに冷静なの?
スティーブは何も感じてないの?
「スティーブ・・・もうっ・・・もう・・・ダメェェェっ。」
私だけ熱くなってる。
私の躰だけ。
私の心だけ。
バカみたいに。
淫乱だ、私。
涙、出て来る・・・。
なのに。
「違うよ。」
どうして解るのかな。
私の考えてる事、全部。
「姫ちゃん、解ってないでしょ。」
ゾクゾクするくらい甘い声が、私の首筋で囁く。
「オレは・・・オレまで、姫ちゃんを傷つける訳にいかないんだ。でも・・・。」
背に触れる肌が、熱い。
「本当は・・・凄く・・・。」
メチャメチャ壊シタイ・・・。
オレ、壊スノ、得意ダカラ・・・。
「愛してるよ・・・姫ちゃん・・・。」
ああ・・・ダメ。
私・・・また・・・イッちゃう・・・っ。
昔。
誰かが言ってた。
飯田だったか。
私と、ウィンと、スティーブ。
三人の中で一番怖いのは。
スティーブだ、と。
ああ、解ってる。
彼は、先の先まで読める男だから。
本能のみであらゆる事に対処できる人間だから。
そして。
誰にも支配されたりしないから。
私は、ダメだった。
ウィンの支配から、脱する事が最後まで出来なかった。
姫がウィンにレイプされた時ですら。
私は助けなかった。
彼の命を優先したから。
ウィンに生きる気力を呼び覚ませるのは、結局、姫しかいなかったから。
助けなかったのだ。
気づいていたのに。
傍にいたのに。
あの部屋の前で。
ただ、耳を塞いだ。
あの後。
スティーブに殴られて気づいた。
ウィンの逝った後、姫に残される時間の長さ。
心の傷は、決して癒される事はないという事実。
それなのに。
事もあろうに。
私まで・・・。
初めて、衝動的に女を抱いた。
泣き叫ぶ貴女(ひと)を、無理やり。
逃げようとしたから。
ウィンの傍から。
否。
違う。
私の傍から、逃げようとしたからだ。
『不器用なヤツ。おバカ。』
事実を知られた時。
やはり殴られた。
しかし、スティーブには解らないだろう。
触れる事すら怖くて、逃げてばかりいた私の心など。
あの一瞬。
魔がさした。
紙袋に僅かな着替えだけを詰めて。
ドアの前に立っていた姫と鉢合わせした瞬間。
それが、すべての始まりだった。
いつも焦がれていた。
スティーブ。
その自由で、大らかで、誰にも支配されない同い歳の義兄に。
そうなりたくて。
彼のように生きたくて。
けれど。
私には無理だった。
姫・・・。
私が、生まれて初めて愛した貴女(ひと)。
ウィンのすべてだった女性(ひと)。
貴女はしらない。
あの小さな躰を抱き締める度。
私がどれほど満たされ。
その陰でウィンに嫉妬していたかなど。
一生を懸けて償うつもりだった。
死ねと言われたなら、きっとそうしたろう。
けれど。
姫はいなくなった。
消えてしまった。
私の傍から。
突然に。
「そういえば、彰が妙な事を言ってたわ。」
ぼんやりと窓の外を見ていた。
文子は手を休める事無く花を活け続ける。
「妙な事?」
「ええ。変な女が何度も璃羽ちゃんを訪ねて来たと。」
「変な女?」
「ええ。なんだか璃羽ちゃんがお世話になった人らしいけど。スティーブに、璃羽ちゃん
を返せって迫ってたそうよ。」
「・・・。」
「だったら奪い返せ、なんて言ったらしいけど。」
「スティーブらしい・・・。しかし、誰だ。」
「詳しくは解らないけど。銀ブラした時、聞いてみたんだけど・・・。とってもいい人だって。
それだけ。璃羽ちゃんがお世話になってた農家の人かしら・・・。どうも、そんな感じでは
なかったと彰は言うんだけど。」
「訳の解らん女に、してやられるスティーブじゃない。」
「そうだけど。まあ、璃羽ちゃんもスティーブと帰って来るって言ってたし。驚くくらい落ち
着いてたから心配はないと思うわ。」
「そう・・・か。」
私がいなくても。
姫は大丈夫なのだ。
テーブルの上。
試しに灯したキャンドルの明かりが揺れる。
「うーん。最高。やっぱりガラスの花器にはキャンドルよね。」
文子はご満悦だ。
その様子を見ながら、私はまるで別の事を考えている。
そろそろクリスマス・ツリーの準備をしなくては。
それから。
それから・・・。
知らなかったの。
私は。
男の人の腕の中が、こんなに心地良いなんて。
だって。
いつも。
押さえつけられて。
無理やり躰を開かれて。
息も出来なくて。
ただ、必死に歯を食い縛って。
我慢して。
ただ、耐えて。
だから。
知らなかったの。
キスにも色々あって。
髪の撫で方にもいっぱいあって。
肌の触れ方もそれぞれ違っていて。
何も知らなかった。
私。
「ん・・・。」
悪夢に魘されて目覚めた。
夜明け前だった。
「大丈夫。大丈夫だよ。」
スティーブの暖かい腕の中。
何度も、何度も、優しい囁きが降って来る。
酷い夢を見た。
悪夢のような日々。
愛されているのだと、信じられたなら。
きっと。
もっと別な時を過ごせたのかもしれない。
大好きな人の残された時間を。
優しく、穏やかに。
でも。
ウィンの愛を信じるには。
私は。
傷つけられ過ぎていて。
「泣かないで。姫ちゃん。」
暖かい腕の中。
涙が、止まらなくて。
「ん・・・。」
「大丈夫だよ。姫ちゃん。」
碧い瞳が私を見てる。
優しく。
「あ・・・。」
「何もしないよ。大丈夫。」
降りて来る唇。
啄ばむように。
額に、頬に、涙に。
「ふ・・・あ。」
大きな手のひら。
肌の上を滑る。
「姫ちゃんは、甘いね。砂糖菓子みたい。」
鎖骨をペロリと舐めて囁く。
スティーブの声の方が甘い。
「怖いよ・・・スティーブ・・・怖い。」
奪われる事しか知らない。
痛みと、恐怖と、諦めと。
目を閉じると蘇る。
狂った視線。
どうして私なんだろう。
何度も何度も自問自答した。
結局、何も解らなかったけれど。
スティーブの舌が、ゆっくりと滑り降り始めた。
鎖骨から胸の谷間に。
更に下へ。
「ふぁっ。」
「何もしないよ。ただ、触れたいだけ。」
さらさらの髪の毛。
くすぐったい。
「あ・・・ん・・・。」
「怖がらないで。力を抜いて。」
やわらかに肌を撫でる指先。
暖かい手のひら。
知らないの。
こんな風に触れられた事なんてないもの。
知らないんだよ。
だって、こんな時間を過ごした事なんてない。
私・・・。
「スティーブ・・・スティーブ・・・っ。」
「イっていいよ・・・大丈夫。オレは何もしないから。」
優しく舌先が触れる。
そこは、ダメなのに。
爪先まで。
痺れる。
「はぁっ。」
頭が。
真っ白。
再会 Ⅷ 。
薄々気づいてはいた。
姫ちゃんは、本当の意味での快楽を知らないんじゃないか。
ずっと、感じていた違和感。
ウィンとの関係が最悪だった事を考えれば、それは有り得る話だった。
力ずくで奪われた。
強引な関係。
いつも泣いてばかりいた。
気づけばオレが傍にいる始末。
いつもいつも。
姫ちゃんにとってウィンは特別だった。
それは嘘じゃない。
でも。
姫ちゃんにとってウィンは、父であり、兄であり、初めて出来た友達であり。
過去のトラウマを引き摺ったままの姫ちゃんにとって、ウィンは特別だった。
けれど。
その特別はオレ達が考えているものとはまるで違っていたのだ。
だから。
ウィンに力ずくで奪われたショックは大きく、その心の傷は深かった。
ウィンの部屋から自室に戻り、膝を抱えて蹲る姫ちゃん。
いつもいつもポロポロ泣いて。
バスルームに行く体力もなくて。
いつの間にか、姫ちゃんをバスルームに運ぶのがオレの仕事になっていた。
震える躰。
小さくて。
いつも怯えて、凍えてた。
何度逃がしてやろうと思った事か。
けれど、ウィンならば探し出しただろう。
その後を考えると、何も出来なかった。
否。
何より、オレもディアンも、結局はウィンの方が大事だったのだ。
ウィンに残された時間を、少しでも伸ばしたかった。
それだけだった。
だから、残される姫ちゃんの、これからの長い人生を思い遣る事すら出来
なかった。
心の傷を抱えたまま生きていかなくてはならない姫ちゃんの事を。
もっともっと考えてやるべきだったのだ。
それなのに。
すべてが終わってから。
落ち着いてから。
そんな言い訳。
ただ、あの傷ついた瞳と向き合うのが怖かった。
逃げ出して当然。
オレ達はそれだけの事を姫ちゃんにしたのだから。
ウィンの死後。
突然、姫ちゃんが姿を消した時。
オレ達はただ。
立ち尽くすしかなかった。
痩せ細った躰。
立って歩くのさえやっとだった。
やつれて、ぼろぼろで。
それなのに。
僅かな荷物だけを持って。
たった独りで。
あれから一年半。
姫ちゃんは自分の力で生きていた。
初めての土地。
慣れない仕事。
辛い事の方が多かったはずなのに。
とても健康そうで。
凄く嬉しくて。
少し、悔しい。
「姫ちゃん。」
優しく触れただけでビクリと跳ねる躰。
少し肌荒れはしていたけれど、昔から見たらずっと健康的な躰。
田舎の素朴な家族に、とてもとても大事にしてもらったのだろう。
「い・・・あ・・・っ。」
小さな躰をうつ伏せにして、丸い踵に優しく噛み付いた。
右の踝に小さな傷痕。
虫刺されだろう。
「大丈夫だよ。オレだから。」
「スティーブ・・・スティーブ・・・。」
シーツを掻き毟る小さな爪。
何もかもが小さな姫ちゃん。
この躰で、あの地獄のような日々を耐え抜いたのか。
「ん・・・ぁ。」
「ごめんね、姫ちゃん。」
キングサイズより一回り大きな特注ベッド。
真っ白なシーツの海に溺れて上り詰めてゆく。
過去の記憶に囚われ怯える躰。
本当の快楽を知らない 貴女(ひと)。
教えてやりたい。
ふと、思った。
それは、鮮烈な欲望。
勿論、無理やりでは駄目だ。
病院での検査もある。
それでも、今しかないような気がした。
ならば・・・。
「姫ちゃん・・・ちょっと我慢してくれる?」
「ふ・・・?」
「怖くないから・・・。」
「スティーブ・・・?」
悪夢に魘された夜明け。
優しい声に意識を揺さぶられ目覚めた。
何の夢を見ていたのだろう。
知っているのはスティーブだけ。
「張り詰めていた糸が、切れたかな・・・。」
囁く声に、苦渋が滲む。
「姫ちゃん。」
囁くように呼んで、スティーブは優しく私の首に舌を這わせる。
ああ、そうか。
見ていた夢は最後の夜。
めちゃくちゃにされた、あの時の夢か。
「大丈夫だよ。大丈夫。」
何度も何度も熱い舌が肌を滑る。
大丈夫。大丈夫。
繰り返される囁きは、まるで懺悔のよう。
どうして?
スティーブは何もしていない。
けれど、それこそが自分の罪だとスティーブは笑った。
哀しく、寂しそうに。
思いきり首を締め上げられた。
折れてしまえと言わんばかりに。
連れて逝く。
独りになどしない。
ずっと一緒に。
地獄まで。
璃羽。
璃羽。
璃羽。
壊れた機械のよう。
繰り返し私の名を呼び続けるウィン。
何処に、あんな力が残っていたのか。
ずっと意識不明だったのに。
深夜一時。
突然意識が戻った。
近代的な病院の特別室。
豪奢な部屋のベッドの上で。
全部脱いで。
最期に見せて。
触れたい。
璃羽。
璃羽。
璃羽。
子供のような顔で。
私をベッドに誘った。
骨と皮になった身体。
痩せて。
満身創痍。
腕から、脚から、チュウブを抜き取る。
命の糧。
最後の我儘。
私をめちゃめちゃに抱いた。
哀しいくらい細い指。
爪が私の肌を裂いて。
血が流れて。
好きだ。
愛してる。
誰にも渡さない。
置いて逝かない。
璃羽。
璃羽。
璃羽。
「一緒に、逝こう・・・。」
私の首を締め上げる。
人形のような私の躰。
痩せて、ボロボロ。
噛み付かれた乳房。
流れる血。
それでよかった。
苦しくて、痛くて、怖くて。
でも、もう終わる。
長い黒髪がベッドから溢れて。
白い床の上で揺れる。
遠くなる意識。
連れて逝ってくれるの?
嬉しい。
優しい微笑み。
深い深い灰色の瞳。
これで、終わる。
そう思ったのに。
誰かの、叫び。
『姫っ!?』
ディアンさんだ・・・。
どうして。
目の前に飛び込む金の髪。
もの凄い力で私の首を締め上げるウィン。
軍隊経験のあるスティーブが、必死に私からウィンを引き離す。
姫っ!
姫っ!
私の躰に絡みつくプラチナブロンド。
どうして止めるの?
なぜ放っておいてくれないの?
意識の遠くでウィンが叫ぶ。
連れて逝く。
誰にも渡さない。
地獄まで一緒。
置いて逝ったら。
誰かのモノになる。
やだ。
やだ。
いやだっ。
私のものだっ。
私だけのものだっ。
狂った叫び。
妄執と執着。
凄まじい執念。
死に逝く者の、最期の足掻き。
駆け付けた医師と看護師達。
顔面蒼白。
修羅場と化した部屋。
血の、匂い。
ディっ。
早く璃羽を連れて行けっ。
早くっ。
早くっ。
ディは、幼い頃の、ディアンさんの愛称。
スティーブが泣いてる。
やめて。
やめて。
ウィンっ。
姫ちゃんを、連れて逝かないでっ。
血の気が失せて。
魂が壊れて。
人形のような私の躰。
抱き締める腕。
私を見つめる碧の瞳。
どうして貴方が泣くのだろう・・・。
私は、嬉しいのに。
こんなに、嬉しいのに。
首に残る傷痕。
所有者の、証し。
それから三日三晩。
一睡もしないウィン。
薬が効かない。
何をしても無駄。
別室に隔離された私。
傍にいたのはスティーブ。
ウィンとディアンさん。
隣の病室で二人きり。
何が話されたのか。
今も解らない。
四日目の朝。
ベッドの端に私。
横たわるウィン。
優しく微笑んだ。
けれど。
『死んでも離さないよ 璃羽。』
最期の呪縛。
暗示のように。
私の中へ。
躰が竦んだ。
死への誘惑。
深い深い海の底に沈む光。
だめだっ!!
悲鳴のような叫び。
誰かが私を、抱き締めた。
強引にベッド脇から引き離し。
腕の中に閉じ込める。
大きな手のひらで、耳を塞いで。
厚い胸板で、私の視界を奪って。
何も見ないで。
何も聞かないで。
忘れて。
何もかも。
これは夢。
ただの、悪夢。
疲弊し、砕けた心。
壊された躰。
私の心臓。
あの日。
凍りついたまま。
「スティーブ・・・。」
あの日。
流す事の出来なかった涙が・・・止まらない。
「姫ちゃん・・・。」
泣かないで。
お願いだから。
泣かないで。
「スティーブ・・・。」
今も、まだ。
私の心臓は。
凍りついたままだ。
声音 Ⅶ 。
ブルーのベネチアングラスに真白な鷺草。
透明なバカラの深い大皿に静(大百合)と蒼薔薇。
可愛らしい紅の江戸切子に撫子と霞草。
大きなダイニングテーブルの上は花で溢れ。
キラキラと輝くガラスに彩られる。
ガラスの器は、姫が好きだった。
割ったら大変だと言って、自分では触らなかったが。
いつもいつも眺めていた。
「花瓶は使わないのか。」
「使うわ。そのバカラ、背が高いから玄関に置くの。カラーの良いのが入ってるし。」
「黒のカラー? 暗いな。」
「カサブランカに合わせるのよ。後、グリーン系を少し。ガラスのお猪口もある?」
「文子に掛ると食器も花器も関係ないな。」
「センスの問題よ。食器を食べ物だけに使ってどうするのよ。」
「そんなものか。」
「そうよ。それにね。高価だからって手の届かない所に飾っておくほど無駄な事はないわ。
だったら食器を描いた絵画でも買えばいいのよ。」
「確かに。その花は、なぜニ輪なんだ。一輪ざしだろう。」
「鷺草は一対で飾るものよ。鷺は一生涯パートナーを変えない鳥なんですって。
番いの片割れが死んだら餌も食べずに後を追うらしいわ。」
「・・・。」
「ずっと、死んだパートナーから離れないんですって。健気ね。」
私に背を向けたまま花を活ける文子。
聞きたい事は他にあるのに、なぜか出てくる言葉はくだらない事ばかり。
「撫子は璃羽ちゃんの部屋に飾るの。霞草と一緒にブーケ風に活けて。このバラはスティーブの部屋。」
「白が多いな。」
「ええ。今回のテーマは白。ちなみに、貴方の部屋には胡蝶蘭よ。」
「本当に白ばかりだな。」
「ええ。暫くは白を中心に考えるわ。」
「なぜ?」
「それを私に聞くの?」
白は、姫の好きな色だ。
自分の知る、唯一綺麗な色だと言っていた。
大好きな雪の色だと。
窓辺のソファに座り、外を眺める。
そろそろ雪が降りそうだ。
ぼんやりしている間に、花々は文子の手によって美しく飾られてゆく。
文子の活ける花はシンプルだ。ゴチャゴチャした活け方は決してしない。
まるで彼女の性格そのままだ。
今回は白と緑と他一色。三色のみで構成している。
「あの子は、染まらないから。染まれないと言った方が正しいのかしら。」
「・・・。」
「何処にいても、空気みたい。」
「空気・・・か。」
「みんなに必要とされているのに、自分は何も必要としないの。」
「・・・。」
「必要とされるままに与えて。汚されるままに消えてゆく。文句も言わずに。ただ、消えてしまうの。」
「霞草は雪。撫子は桜。」
「ええ。季節外れの桜は、ただ、雪に凍えて散ってゆくわ・・・。耐えて、耐えて耐えて、散ってしまうのよ。」
文子は、あの一年間を知っているんだったな。
ぼろぼろになって壊れていく姫を、毎週見てたんだ。
確か、姫より十歳年上だから。
妹のように思っていたんだろう。
言葉の端々に、私を責める刃を潜ませている。
「元気そうだったと言ったな・・・。」
「やっと聞く気になった?」
「何処に?」
「場所は言わない約束だから。でも、農村で働いてたそうよ。」
「農村・・・。冗談だろう。」
「畑と家畜の世話。小規模農家で、とっても良い家族に囲まれてたみたい。」
「そう・・・か。」
「ええ。十日くらい前に、突然、彰から連絡があって。」
着替えを用意して欲しい。
事情があって、場所は言えないから俺が取りに行く。
璃羽ちゃんのなんだ。
下着とか、全部。
ん? スティーブが一緒だ。
大丈夫。
元気だ。
少し太ったかな・・・。
まぁ、最後に会った時が最悪な状態だったから。
昔のサイズだと思う。
ああ、頼む。
「その時は会えなかったんだけど。三日前。今度はスティーブから直接電話があって。」
ヘリを迎えにやるから来て欲しい。
確か、店は休みだろう?
姫ちゃんを銀ブラに連れてって欲しいんだ。
靴とか、コートとか、色々買い揃えて。
行き付けの店には連絡しておくから。
息抜きだよ。
オレは行かない。
大丈夫。
荷物持ちに彰連れてって。
ああ、よろしく。
「久々に会ったけど、相変わらず迷子の子犬みたいな顔してたわ。」
「・・・。」
「でも、笑ってくれたの。」
私を見て。
ちゃんと笑ってくれたのよ。
「安心した?」
「・・・ああ。」
今は、それで充分だ・・・。
シャワーというよりは、雨。
ホテルのバスルームに響く雨音。
「黒髪の人魚だね。」
スティーブの声が、耳の後ろで囁いた。
「スティーブ。濡れちゃうよ。」
「大丈夫。どうせすぐ脱ぐから。」
シャワーの下に立たせた私の後ろに立ち、スティーブは髪を洗ってる。
私の長い黒髪を。
品の良いVネックの黒いセーター。
多分、カシミア。
黒のジーンズは細身で。
黒革のブーツには装飾のベルトが並ぶ。
ブランドのロゴが小さく光る。
どれも手入れが大変そう。
それなのにシャワーの下で気にも留めない。
「目を閉じて。上を向いて。」
言われるまま、そうした。
基本的に、私はスティーブに逆らう事はしない。
逆らわなければならない事もないけれど。
泡だらけの大きな手で顔を包まれて。
包まれたかと思ったらシャワーが泡を洗い流してゆく。
天井からの雨が止み。
長い黒髪を束ねられ。
頭を柔らかなタオルで巻かれターバンの出来上がり。
「ありがと。」
「どういたしまして。ヘアサロンの予約入れなきゃね。」
この一年半、手入れなどしていなかった髪の痛み。
離れていた時間をそこに見つけて、スティーブは小さく溜め息を吐いた。
「虫に刺された?」
「うん。畑にいると、どうしても。」
「ちゃんと虫よけしなくちゃ。」
「してたけど・・・。」
スティーブ・・・?
妙に゛虫よけ゛の所に力を入れた気がしたけど。
なに?
聞く間もなく、私の躰は真っ白な泡に包まれた。
薔薇の香りがするボディソープ。
大きな手のひらが私の躰を這い回る。
「脚、開いて。」
「・・・。」
「大丈夫。何もしないよ。」
スティーブの言葉に、いつも嘘はない。
思えば、誰よりも私の躰を隅々まで知ってるのはスティーブだ。
初めてウィンに傷つけられた時も、スティーブがこの躰を洗ってくれた。
おずおずと脚を開く。
後ろから抱き締める腕に支えられて。
私の躰の隅々まで洗う手のひら。
その動きにビクビクと躰が跳ねる。
怖かったのは、躰に残る記憶。
刻みつけられた快楽という名の傷。
どれほど拒んでも、与えられ続けた。
私の心が壊れても、溢れるほどに。
「スティーブ・・・。」
震える声で呼ぶ。
顔が見えないのが怖い。
「大丈夫だよ。もう終わった。」
耳の裏側で囁く声。
シャワーヘッドから少し熱めのお湯が溢れ、私の躰からすべての記憶を洗い流す。
背中に押し当てられた唇。
その感触だけを残して。
抱き上げられて、バスタブに恭しく降ろされた。
少しぬるめの乳白色のお湯に薔薇の花々が浮かぶ。
脚を伸ばしても余裕の大きさ。
お湯は浅く張られ、私の胸の下辺りまでしかない。
その理由は解ってる。
セーターやジーンズやブーツが脱ぎ捨てられて、小麦色した肌が白い泡に包まれる。
大きな背中。長い手脚。充分筋肉が付き引き締まった身体に隙はない。
骨ばった長い指が金の髪を掻き上げる。
そういう事に疎い私でも、セクシーだと思う。
何を食べたら、こんな完璧なボディが作れるんだろ。
こうしてマジマジと男の人の身体を見たのはスティーブが初めて。
それ以外の男の人の身体は見た事がない。
ウィンとベッドで過ごす時は、そんな余裕なんてなかったし。
ディアンさんは、気まぐれに私の躰を抱き捨てるだけだった。
だからこうして一緒にお風呂に入るのはスティーブだけ。
シャワーを浴びたスティーブが、私の背中からバスタブに滑り込む。
水嵩がまして、私の躰はすっかりお湯に浸る。
薔薇がくるくる回って泳ぎ回る金魚みたい。
「ぬるい?」
「ううん。丁度良い。」
すっぽりとスティーブの腕の中に納まって、私は厚い胸板に背を預ける。
一つのバスタブの中、裸のまま二人で過ごす。
不思議な関係。
誰に話しても信じないだろう。
こうしていても、私達には男と女の関係はない。
逞しい腕が私の素肌を抱き締めていても。
耳朶を甘噛みし、大きな手のひらが肌をはい回っても。
確かに雄としての反応があっても。
それを私が感じていても。
スティーブは、決して私を求めて来ない。
「全身エステ。決定。」
「明日?」
「疲れてる?」
「うん。」
「じゃ、明日は寝ていていいよ。」
私の首筋を舐め上げながら、スティーブはスケジュール調整中。
そっと私の手首を掴み、持ち上げた。
「ネイルサロンにも行かなくちゃね。」
「一日に全部?」
「うーん。全身エステで一日。ヘアサロンとネイルサロンで一日。どうかな?」
「それなら・・・なんとか。」
昔の生活が戻って来たよう・・・。
違うのは、私の意志を無視されない事。
勿論。少なくてもスティーブは私の意志を無視した事などないけれど。
ウィンは、何もかも強引だったから。
躰が疼く。
忘れていた過去が蘇る。
「買い物にも行かなくちゃね。」
囁くような優しい声。
ずっと、この声に、この存在に救われて来た。
「眠ってもいいよ。」
「うん。」
そっと顎を持ち上げられて、後ろから貪るように接吻けられた。
でも、それだけ。
咲おばあちゃんはどうなっただろう・・・。
飯田さんの事だから、きっと上手くやってくれると思うけど。
意識がぼやける。
暖かさに抱かれて、眠くなって来た。
久し振りに確認した。
その白い肌。
触れて、すべてを取り戻したかった。
それにはバスタイムが有効。
ピロートークでもいいけど。
多分姫ちゃんは寝てしまうだろう。
農家で働いていた姫ちゃん。
この華奢な躰で肉体労働なんて無理だろうと思ってた。
でも、オレの予想に反して健康的になっている。
僅かに付いた筋肉。
手足に小さな傷があった。
本当に畑仕事をしていたんだと実感した。
虫にさされた痕を幾つか見つけて、ふと、病院にいたあの男を思い出す。
恋する眼差し。
朴訥な男。
見た目で解る。
あれは姫ちゃんに恋してる目。
でも、もう終わり。
姫ちゃんはオレと一緒に帰るんだ。
姫ちゃんの躰を隅々まで確かめる。
この一年半。
何があった処で関係ない。気にしない。
姫ちゃんの過去を問い正せるか? このオレに。
散々姫ちゃんを傷つけて、家出までさせたオレ達に。
ただ、心配だっただけだ。
本当はすぐにでも入院させて、検査を受けさせたかった。
それをしなかったのは、少なくとも以前より健康そうに見えたからだ。
オバアチャンの事でやつれてはいたが、オレ達と暮らしていた頃からすれば健康的な
印象が強かった。
一年半。独りで頑張って来た姫ちゃん。
それが、オバアチャンを助けたい一心でオレに連絡をして来た。
本当なら、一生オレ達とは関わりたくなかっただろうに。
その為に逃げたのだろうに。
きっと、姫ちゃんを大事にしてくれたのだろう。
あの家族は。
だから、しばらく様子を見る事にした。
オバアチャンの治療の目途が立つまでここに滞在して、それからディアンの待つ家に
帰る。
それでいいだろう。
久し振りに触れた姫ちゃんの肌は、随分と荒れていた。
髪も傷んでいたし、爪は短く切られていて、汚れていた。
畑仕事をしていたのだから仕方ないが、当分はサロン浸けだ。
覚悟してもらおう。
姫ちゃんの躰を洗って、バスタブに入れて。
さて、と迷った。
正直、オレといえど我慢には限界がある。
今まで姫ちゃんに手を出さなかったのはこちらに事情があったからだ。
ウィンに束縛され、ディアンに乱暴され。
その上オレまで妙な事をしたら、本当に姫ちゃんが壊れてしまう。
それくらいの理性はあった。
だが。
ウィンが逝き、ディアンが傍にいない今。
流石にキツイ。
出来れば、姫ちゃんに拒絶して欲しい。
なんて・・・考えが甘かった。
姫ちゃんは以前と変わらず、オレに対しては無防備だった。
試しに接吻けたりしてみたけど。
躰中触りまくってみたけど。
やっぱり抵抗する気なし。
無防備そのもの。
挙句、バスタブの中で、裸の男に抱き締められて、うとうと・・・。
これには参った。
でも、お陰でオレも腹を括った。
これほど素直に身を預けられると、返って手出しが出来ないものなのだ。
だってなぁ・・・。
眠ってしまった姫ちゃんをベッドルームに運んだ。
大きなバスタオルで躰を拭いてやって。
そのまま寝かせた。
オレはバスルームに逆戻り。
このままじゃ眠れない・・・。
なんでオレが自分で? とは思ったが。
すやすや眠る姫ちゃんの、安心しきった顔には負ける。
絶対、これ以上傷つける訳にはいかない。
内線でフロントを呼び出し、サロンの予約。
時期的に客は少ないらしい。
すべて貸切。
他に、何か忘れてる事はないか?
ない。
しばらくソファでワインを傾けていたが、姫ちゃんと再会出来て安心したのか、急に
眠気が襲って来た。
勿論、裸になって姫ちゃんの隣に滑り込む。
小柄な姫ちゃんは、オレの腕の中にすっぽり納まる。
抱き締めると懐かしい匂いがした。
窓の外は暗い海。
夏ならさぞ綺麗だったろう。
午前1時~6時までこのブログはメンテナンスだそう。
なので、書き込み出来ません。
また明日、頑張ります。