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手にした小さなメモは、捨てたくて、捨てなくてはならなくて、けれど捨てられなかった過去の残骸だ。
二つの携帯番号・・・。
くしゃくしゃのそれは、私の運命のなれの果て。
まだ・・・日本に・・・いたんだ。
あのまま某国に帰ったのだと思った。
あの貴方(ひと)の棺と一緒に。
「ウィン・・・。」
最後に見た白磁の顔を、私はあまり覚えていない。
まだ、たった一年半しか過ぎていないのに。
この躰は、その指先の冷やりとした細さまで覚えているのに。
ウィン・・・。
私を犯して、壊して、狂わせた貴方・・・。
私を犯して、壊して、狂わせて、そのまま逝ってしまった。
共に過ごしたのは一年ほど・・・。
ううん。違う。
過去の時間へと戻れば、その一年に半年が加わる。
それでも、たった一年半だ。
冷たい雨が、そろそろ雪にかわる。
青と灰色の混ざり合う空から、白い結晶が降り始めるまでに彼は来てくれるだろうか。
冷たい雨は心地よい。
体温が下がれば死ねるのだと、幼い頃に言われた記憶。
産まれたくて生まれてくる命などない。
命は、親も時代も、その種さえも選ぶ事などできないのだ。
命が選ぶ権利を与えられているのは、きっと、死だけだ。
その死だとて、選ぶ事はできても、得るには勇気と、運と、覚悟がいる。
人が思うほど、死を望む人間が死ぬ事は簡単ではないのだ。
病院の門が遠い。
でも、あの門から、彼は来るのだろう。
だから私は待っている。
雨に濡れながら。
広い駐車場を持つこの場所は、あの貴方(ひと)が逝った近代的な建物からは程遠い。
けれど、同じ病院という建物だ。
背後に建ちつくす、くすんだ白い壁。
あちこちに罅が入って、薄暗い廊下。
静まり返った外来の待合室。
病院独特の匂い。
冷たいシャワーの雨。
何処かの町で雪が降った
バスルームに入る前、ニュースが降りしきる雪を映し出していた。
最高級ホテルの一室。
冷えたままの身体に新しいスーツを纏って、某ブランドの高級ソファに腰を下ろした。
ベッドに横たわる女には目もくれず窓の外を眺めていたのは、タバコ一本が吸い終わるまでの時間。
そろそろマンションに戻らなくては・・・。
空港から真っ直ぐホテルに来た。
このまま宿泊するつもりだったが、なぜか、その瞬間、マンションに戻ろうと思った。
テレビが映し出していた雪の映像のせいだろう。
あの貴女(ひと)は雪が好きだった。
ベッドで眠る女にメモを残し、小さなトランク片手に部屋を出る。
メモと一緒に札束ひとつ。
日本へショーの為にやって来たモデルには、この程度の金は出さないと後々面倒だ。
思えば腐れ縁。
ビジネスと都合を考えると丁度良い女。
世界中でVIPを相手にしているから、女自身も面倒は嫌う。
大学時代に知り合ったから、既に十年の付き合いだろうか。
スケジュールが合うと身体を重ねる関係。
友達以上恋人未満。
それで構わないと言う頭の良い女。
狡猾だが、性格が悪い訳ではない。
ただ、意地っ張りで、多少自信過剰で、何処かお人よし。
だから続いている。
都合が良くて、身体の相性が良い。
女など、それで充分。
貴女に出逢うまでは、それが自分の常識だった。
「・・・アロー。」
『ディアン。』
「どうした?」
『数日連絡が取れなくなる。』
「トラブルか? 珍しい。」
『まぁな。仕事が終わったら連絡する。』
「解った。」
『ディアン・・・。』
「ん?」
『いや、いい。』
ホテルのエントランスを出る直前、携帯が鳴った。
相手は双子のように育った男。
歯切れが悪い会話はトラブルのせい。
勝手に、そう思った。
その迂闊さに、後々自分を嫌悪する事になる。
元より、私は自己嫌悪の塊だ。
この一年半、特にそれが酷くなった。
他人(ひと)の知る外見とは裏腹。
内面の醜さは目も当てられない。
だから・・・あの貴女(ひと)は消えた。
あの貴女が妊娠していた事も、その子供を中絶していた事も、知ったのは最近だ。
元々優しい貴女だから、どれほど辛い思いをしたのか。
気づくのはいつも後。
すべてが終わった後ばかり。
早く、早くこの手に取り戻したい。
そう心は急くのに。
でも、居場所が解らない。
狭い日本という勝手な思い込みで、打つ手は後手後手。
あの貴女は完全に消えてしまった。
にこやかな笑顔で見知ったドアマンに見送られ、黒塗りのハイヤーへ。
マンションへは一時間と少し。
ふと、気が緩んだ瞬間に、あの貴女の涙の感触を思い出した。
泣かせてばかり。
悲しませてばかり。
胸ポケットから二つ折りの小さな携帯を取り出した。
待受は、あの貴女が暮らしていた教会に咲き誇る桜。
あの桜の木は、唯一、あの貴女が安心できる場所だった。
「姫・・・璃羽(りう)・・・。」
囁く名にはいつも痛みが付き纏う。
『姫』という愛称は亡くなった私の養父・ウィンが付けたもの。
ストラップにしている銀の鎖に通したエメラルドの指輪がキラリと揺れる。
この携帯の番号を知っているのはあの貴女だけ。
一度も、鳴った事はないけれど・・・。
そう・・・一度も鳴った事はなかった・・・。
だから、気付かなかった。
シャワーの間に鳴った携帯。
それを受けたのはベッドに横たわっていた女。
無言で切れた。
ただの間違いだと女は勝手に判断した。
間が悪い。
悪過ぎる。
この時。
着信歴を、どうして確認しなかったのか。
そうすれば、エントランスで受けた携帯の意味などすぐに解ったはずなのに。
歯切れの悪い会話。
その意味を。
いつもいつも、後悔ばかり。
あの貴女(ひと)と出逢ってから。
私は静かに壊れ続けている・・・。
小さな四角い窓から空を見上げる。
青と、灰色と、白。
そろそろ雪が降り始めるだろうか。
ぼんやりとした意識で私は空を見つめ続ける。
四角い窓の外。
青と、灰色と、白。
これが私の世界。
私の心の世界。
他の色なんて知らない。
青と、灰色と、白。
それ以外の色なんていらない。
私の世界は三色で出来ている。
「お前なんて産むんじゃなかった。」
最後に聞いた母親の言葉だ。
「ウチに娘なんていない。」
それは父の言葉だったか。
私にとって、親という存在の記憶は幽かだ。
確か、兄もいたような気がする。
その声は、覚えていない。
記憶にあるのは、兄が死んだ事実だけだ。
この世に産まれてはならない人間が、この世に存在し続ける。
それは、想像するより遥かに辛い事だ。
生きているのは、死なないからだ。
自ら死ぬほどの価値もない命。
それが私の命。
ああ、そういえば。
この命を欲しいと言った人がいた。
かつての親という存在だった。
私の心臓が欲しかったのだ。
心臓移植。
その為に。
兄は、心臓が悪かった。
確か、そうだ。
幼い頃の記憶は曖昧で。
でも、笑った記憶はない。
曖昧な記憶の中に、笑った記憶だけがない。
それを、私ははっきりと覚えている。
ああ、雪が降りそうだ。
そろそろ本格的な雪の季節だ。
小さな四角い窓の外。
青と、灰色と、白。
私の世界は、それだけの色で出来ている。
再会 。
携帯の向こうから、震えるような囁きが聞こえる。
「 に・・・いるの・・・。」
泣き疲れた声。
「わたし・・・の・・・せいで・・・。」
一年半ぶりに聞く声。
「おかね・・・必要・・・なの・・・。」
探しても、探しても、見つからなかったもの。
「一生・・・はたらいて・・・かえす・・・だから。」
捜しても、捜しても、捜しても、何処にもいなかったのに。
「たすけて・・・くだ・・・さい・・・。」
今にも消えそうな声で。
「たすけて・・・スティーブ。」
その存在を知らせて来るなんて。
「姫ちゃん・・・もう一度、居場所を教えて。すぐに、行くから。」
迂闊だった。
まさか、そんな田舎にいたなんて。
農家だと?
肉体労働なんて出来る貴女(ひと)じゃないのに。
一年半。
捜して、捜して捜して。捜して。
見つからないはずだ。
酪農と農業の町だと。
彼女がそんな小さな山村にいたなんて。
だが、生きていてくれただけで有難い。
それだけで、救われた気がする。
助けて、と。
その一言でも充分だった。
貴女が生きている。
それだけで。
高層マンションの屋上。
呼び出したヘリに飛び乗る。
片手には札束の詰まったアタッシュケース。
貴女の為なら何でもしよう。
最初から、そのつもりだった。
貴女と出逢ったあの日から。
ずっと。
泣かせる事しか出来なかった。
本当は笑っていて欲しかったのに。
それは、許されない現実で。
慰めの言葉すら口には出来なかった。
あまりにも、白々しくて。
「姫ちゃん・・・璃羽(りう)・・・もう、何処にも消えないでくれ。」