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2007.12。公開開始。 このブログは み羽き しろ の執筆活動の場となっております。 なお、ブログ中の掲載物につきましては「無断転載・無断使用を禁止」させていただきます。
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休憩室の硬い床の上で、膝を抱えて蹲る。
長袖のTシャツから、秋雨の淋しい匂いがする。
丁度良いサイズだったはずのデニムパンツは、ここ数日ですっかり緩くなってしまった。
洗濯の時間もなくて、脱いだツナギはもう三日も着続けている。
雨の匂いと、幽かな家畜のにおい。

慣れてしまった暖かな日常に、常に魔物が潜んでいる事を忘れていた。
やっと見つけた居場所だった。
自分が生きていて良い場所なのだと、初めて思えた。
暖かな家族の時間。
部外者だけど、他人だけど、傍で見ていられる事が嬉しかった。

初めて失いたくないと切実に思った。
例え、その居場所に居られなくなったとしても。
その場所だけは、確かにあるのだと信じたい。

初めて望んだ。
小さな幸せ。
それを与えてくれた、松宮家の人々。
遠く離れてしまっても、決して忘れる事はないだろう。

小さな窓の外。
とうとう雪が降り出した。
少し、寒い。

彼は来てくれるだろうか・・・。
いや、きっとスティーブなら来てくれる。
映画に出て来る軍人さんのような風貌で、いつも気取らない雰囲気が好きだった。
背が高くって、逞しくって、私なんて片腕で簡単に抱き上げてしまって。
濃い金色の髪は短く刈り上げて、碧い眼はいつも人懐っこく優しそうに笑ってた。

「戦闘機に乗りたくて軍隊に入った事があるんだ。手っ取り早くライセンスを取るなら空軍
だと思って。」

「調理師のライセンスも持ってる。和食、洋食、中華、何でも作れる。珍しい食材を探して
アマゾンにまで行ったんだ。酷い目にあったけど、楽しかったよ。」

いつもとんでもない話をして私を慰めてくれた。
傷つけられて泣いていると、眠りに就くまでずっと傍にいてくれた。
ゴメンネ。止められなくて、ゴメンネ。
耳元で囁く声は、いつも苦渋に満ちていて・・・。

ずっと私を支えてくれた。
どんな時も傍にいてくれた。
彼がいなかったら、きっと私は気が狂っていただろう。

求められるばかりの日々。
奪われるばかりの心と躰。
産まれたくて生まれて来た訳じゃないけど。
生きたくて死ななかった訳じゃないけど。
それでも、息をしている事すら辛かった毎日。

姫ちゃん。

そう呼ばれるだけで、安心出来た。
結局私は、逃げ出す事で裏切ってしまったけれど。

どうしてスティーブじゃなかったんだろう・・・。
どうしてディアンさんだったんだろう・・・。

バカだ・・・私。
絶対、叶わない想いだったのに。

逃げ出す事しか出来なかった。
お腹に宿った小さな命。
泣きながら諦めた。
産む訳にはいかなかった。
私の子供など、彼は望まない。

嫌われてるって解ってた。
憎まれてるって知ってた。

私を蔑む翠色の瞳が怖かった。
キスひとつしてくれないひと。
ただの排泄処理だって解ってた。
それでも、眺めていたかった。

バカだから、私。
だって・・・。
バカなんだもの、私。



    再会 Ⅳ    



不器用な恋をしたものだ。
気づいた時には遅かった。
まさか、ディアンがウィンのモノに手を出すとは思ってもいなかった。
気づいた時、姫ちゃんはボロボロだった。
オレより先に、ウィンが気づいてしまったからだ。
ウィンはディアンを責めなかった。
けれど、ディアンに見せつけるように姫ちゃんを犯すようになった。
あの頃には、もう。
ウィンの想いが愛情なのか、ただの独占欲なのか解らなくなっていて。
オレ自身、戸惑うばかりの毎日だった。

ウィンには時間がなかった。
彼の命には限りがあった。
全身に転移したガンが彼を蝕み続けていた。
繰り返された手術のせいで、満身創痍の状態だった。
その現実を見せつけられて、姫ちゃんは逃げ出す事を諦めた。
ずっと傍にいると約束してくれた。

それなのに    

死に逝く者の最後の我儘だったのか。
姫ちゃんへの想いは暴走し、愛情は凶器に変わった。
その上、ディアンとの一件。
集中攻撃を受けたのは姫ちゃんだった。
嫉妬だったのだろうか。
暴力ではなく、乱暴だった。
ウィンは姫ちゃんを乱暴に抱いて、その華奢な躰に消えない痕をつけ続けたのだ。
噛み付くように口付て、乱暴に吸いついて、時折血が流れても決して手加減をしない。
そうする事で、姫ちゃんがディアンを諦めると思っていたのだろうか。
最初から姫ちゃんは何も望んでいなかったのに。
そんな事、ウィンが一番よく知っていたはずなのに。

オレがその事に気づいたのは、飯田がそっと姫ちゃんに渡した傷薬を見つけたからだ。
飯田を問い詰めて、やっと吐かせた時、彼は言った。
「璃羽さまを護れるのですか?」と。
姫ちゃんは飯田に言ったのだという。

「もしかしたら、私も天国に逝けるかもしれない。だから、スティーブには黙ってて。」

馬鹿な事を。
何て馬鹿な約束を。
あろう事か、ウィンは姫ちゃんに約束していたのだ。

死ぬ時は、一緒に連れてゆく    と。

狂ってる・・・。
初めて、ウィンを憎いと思った。
時を待てなかったディアンの馬鹿を呪った。
そして、姫ちゃんの愚かさが哀しかった。
けれど、誰より憎かったのは、呪わしかったのは、哀しかったのは。

一番の馬鹿は、オレだ・・・。

こんなに傍にいたのに。
誰よりも彼らを見ていた筈なのに。

何より無力な自分が、赦せなかった。


「スティーブ。そろそろ飛行場に着きます。」
「ああ。解った。」
「ディアンに・・・連絡は?」
「必要ない。時が来れば、オレから連絡する。」
「解りました。」

今は、ただ。
姫ちゃんの無事をこの手で確かめたい。
すべては、それからだ。


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集中治療室の前にある廊下。
並ぶ小さな椅子のひとつに座り、私は独り考えている。
集中治療室に入れるのは家族だけだ。
今は和己さんのお母さん志乃さんと、お父さんの和夫さんが付き添っている。
和己さんと違ってご両親は共に小柄な方だ。
そして、咲おばあちゃんはもっと小さい。
小さな背中を丸めて、いつもぬか床を混ぜていたっけ。

和己さんには一つ年上のお姉さんがいる。
今は金策の為、嫁ぎ先に頭を下げに行っている。
脳溢血・・・。
保険が利いても、治療費は莫大だ。
後遺症が残れば、更に出費は増えるだろう。
小さな家族で営む農家は、それでなくても生活は苦しい。
その上、最近妙に張り切って働き始めた和己さんの為に、お父さんは新しいトラクターを
買った。
そのローンも丸々残っている。
三年前には集中豪雨の被害に遭い、その時に直したビニールハウスのローンだってある。

ふと気付くと、隣に和己さんが座ってた。
疲れた顔をしてる。
当たり前だ。
自宅から病院まで片道3時間も掛かる。
それなのに、この三日、毎日通っているのだ。家畜がいるから。死なせる訳にはいかない。
まだ家畜の世話が出来ない私が手伝っても、和己さんの負担は変わらない。
その上、毎日往復6時間。精神的にも肉体的にも、もう、限界だ。

「大丈夫だよ。いざとなったら、俺が出稼ぎに行くよ。」
「・・・。」
「ばぁちゃんの命には代えられないモンなぁ。」
「和己さん。」
「そんなに悩まないでくれよ。りうのせいじゃないんだから。」
「でも。」
「りうがウチに来る前からさ、ばぁちゃん、時々頭痛いって言ってたんだ。頭が重くて痛いっ
て。きっと、その時病院に連れて行けば・・・こんな事にならなかった。ごめん・・・。
ばぁちゃんの事で、りうにこんな辛い思いさせて。」
疲れと、これから先の不安で、和己さんの声は小さく震えていた。

和己さんはおばあちゃん子だ。お姉さんの典子さんと二人。忙しいお母さんに代わって咲
おばあちゃんが育てたのだという。
だから、二人ともとても素朴で優しい。

「二人とも、大丈夫?」
その声に見上げると、大きな荷物を持った可愛らしい女性が立っていた。
和己さんの幼馴染、大垣美幸さんだ。
町では一番大きな農家の一人娘で、美幸さんのお父さんはレストランやチーズ工房など手
広く経営しているのだという。
ただ、経営状態はあまり良くないと青年会議所行われた集まりで聞いた事がある。
私と同じ年だというから、27歳・・・いや、28歳になったばかりだったか。私より半年早く生まれ
ているはずだ。
和己さんより一歳年下。
そういえば・・・和己さんはスティーブ達と同じ年だ。29歳。農家の人は結婚が遅いというけど、
適齢期だろう。
周囲の人たちは、いずれこの二人が結婚すると思っている。
私も、お似合いだと思う。
「はい。お弁当。二人とも食べてないでしょ?」
お嬢様育ちだけあって、背中まである茶色の髪はクルクルに巻かれ、身につけているのは
ブランド物ばかりだ。
我儘だけど、人を気遣う事の出来る優しい人。

「やだ。どうしたの? りうったらずぶ濡れじゃない。上のツナギ脱いで来たら? 中、ちゃんと
着てるんでしょ?」
「はい・・・。」
「まさか、この冷たい雨の中、外にでもいたの?」
「・・・。」
「風邪でもひいたら、結局和己に迷惑掛けちゃうわよ?」
「はい。」
「そういえば・・・りう。雨の中、何してたんだ?」
「・・・。」
「変なコねぇ。ほら、早く脱いで来て。寒いでしょ?」
「はい。じゃあ・・・ちょっと行ってきます。」

二人の視線に送られて席を立った。
寒さは感じなかったが、心に鉛のような重さがある。
スティーブに連絡した以上、あの世界に連れ戻されるだろう。
自然と、濡れた躰が熱を帯びる。
そして、躰の奥で疼く痛み。

エレベーターの横にある小さな休憩室。
集中治療室を利用している患者さんの家族が休む為の部屋だ。
作業用に買った少し大きいサイズのツナギを脱ぐと、私は硬い床に座り込んだ。



    声音 Ⅲ    



飯田との連絡がつかない。
やはり、あの電話は彼女からだったのか。
この一年半。
一度も連絡をして来なかったのに、一体、何があったというのか。
「くそっ・・・。」
迂闊だった。
彼女からの電話を、よりによって女に受け取らせるなんて・・・。
いつも泣いてばかりいた。
また、泣かせてしまったのか。
解らない。
一体、何があった?

小さな教会の片隅で、狭い部屋を間借りして暮らしていた女。
最初は、なぜ、こんな女にウィンが拘るのかが解らなかった。
小柄で、華奢で、無口で、暗くて。
確かに綺麗ではあったが、いつも俯いていて。
時折笑っても、それは無理やり貼り付けた作り笑いで。
いつもいつも人の顔色を窺って。
「趣味が悪すぎる。」
スティーブと二人きりになると、決まって私は腹を立てていた。
「ウィンは何を考えているのか。」
少しずつ彼女の置かれていた立場を理解しても、結局は同じ。
「あんな女の何処が良いと言うんだ。」
三年前の私は、いつもいつも苛立っていた。
ウィンに言いよって来る女など掃いて捨てるほどいた。
無論、財産目当てが大多数だろうが、例え財産など無くても彼なら女に不自由などしな
かったはずだ。
実際、彼がベッドに呼んでいた女達は美女ばかりだったし、頭も良く、立場を弁えていた。
それなのに。
「可愛いじゃないか。一生懸命言葉を選ぶのは、きっと彼女のクセだろう。」
「そんな事を言ってるんじゃない。あの引き攣った笑い方。ウィンが何かプレゼントしようと
する度に「私には似合わない」だの「贅沢なものをもらっても困るし」だの。少しはウィンの
立場になって欲しいものだ。」
「姫ちゃんは、そういう生活しかした事がない。仕方ないだろう。ウィンがそれを一番よく解っ
てるんだ。だから少し考えてプレゼントすればいいのに、ウィンは高価な物ばかり贈りたが
る。姫ちゃんばかり責めるなよ。」
「だから腹が立つ。ウィンは何を考えているんだ。」
「やれやれ。いつもクールなお前とは思えないな。どうした。」
「ふん。私はお前ほど寛容には出来てない。悪かったな。」
「くっくっくっ・・・。」
「なんだ?」
「姫ちゃんは不器用なんだよ。上手く人と接する事が出来ないんだ。」
「だから、そういう問題じゃ・・・。なんだ?」
「なんか・・・好きなコにちょっかい出すいじめっ子みたいだぞ。お前。」
「なんでそうなる。」
「はは。姫ちゃんは優し過ぎるんだよ。そして、自分に存在価値を認めていない。」
「・・・。」
「居場所がないんじゃなくて、最初から諦めてる。自分には居場所なんてないんだ、って。
そういう環境で育ったから、優しくされるとどうして良いのか解らないし、どう応えていいの
か解らない。」
「だからって、あの引き攣った笑顔はないだろう。いかにも作り笑いだ。せめて愛想笑い
くらい・・・。」
「笑い方が解らないんだ。知らないんだよ。だからタイミングも合わない。結局中途半端な
笑顔になって、それがお前には気に入らない。」
「随分と・・・物解りがいいな。」
「そりゃあな。お前とは長い付き合いだし、姫ちゃんも大事だし。」

いつもいつも苛立つ私と、それを宥めるスティーブ。
けれど、スティーブの本質を見る眼は確かだったのだ。

ある時。
彼女がポツリと言った。
『この世に産まれてはならない人間が、この世で生き続けるのは辛いんですよ・・・。』
彼女のすべては、ここから始まっているのだと痛感した。

気がつけば、彼女に名を呼ばれるのを待っている。
ウィンやスティーブのように、私を呼んで欲しかった。

彼女は、ウィンと呼び、スティーブと呼んでも、私の名だけは、
「ディアンさん。」
と呼んだ。


灰色の空から冷たい雨が降る。
凍える躰を震わせながら、私は彼を待っている。
病院の建物は古く、待合室から外が丸見えで、外来の患者さん達が私を不審そうに眺め
見ている。
元より、私は不審人物だ。
この町にも、今の居住地にも、本来私は存在しない。

ある日、突然。
ふらりと現れた女。
小さな旅行鞄ひとつで、ふらふらと行くあてもなく流れていた不審者。
小さな、今にも倒壊しそうな市役所の掲示板で、アルバイト募集の張り紙を見つけ、諦め
半分で面接に行った。

酪農と農業の町。
そこから、更に山近くへ。
家族五人で営む小さな農家が点在する集落。
合併する前は、山村だったという。

突然働かせてくれと現れた若い女に、素朴な彼らは何を思ったのだろう。

「りうっ!?」
「和己さん・・・。」
「何やってんだっ。ずぶ濡れじゃないかっ!!」
「・・・咲おばあちゃんは・・・。」
「・・・さっき、頭がい骨の一部を外した。脳の腫れが少しでもひけばいいけど・・・。」
「ごめんなさい。」
「りうの所為じゃないだろっ。医者だって言ってた。脚立から落ちたのだって、ばぁちゃんが
勝手に。」
「ううん・・・私が・・・。私が、咲おばあちゃんの漬けた梅を食べたいなんて言ったから・・・。」
「だからそれはっ。」
「私が食べたいなんて言わなければ・・・おばあちゃんは納屋になんて行かなかった・・・。」
「りう・・・。」

咲おばあちゃん。
何処にも行くあてのない私を家に置いてくれた。
家族が反対したのに。
私を働かせてくれて、美味しいご飯を食べさせてくれて。
それなのに。

私と和己さんの目の前で。
脚立から落ちた。
私さえ、おばあちゃんの漬けた梅が食べたいなんて言わなければ。
そうすれば、おばあちゃんが脚立に乗る事なんてなかったのに。

「医者が言ってたろ? 脚立から落ちたのが先か、脳溢血を起こしたのが先かなんて解ら
ないって。それに、俺だって納屋にいたんだ。りうだけのせいじゃないっ。」
「ごめんなさい・・・ごめ・・・なさ・・・。」
「とにかく、病室へ戻ろう。ばぁちゃんの意識が戻った時、りうが傍にいなかったら泣くぞ。」
「・・・。」
「こんなに濡れて。ばぁちゃんにとってりうは本当の孫娘より可愛い存在なんだ。倒れたり
したらどうすんだよ。ほら。」

和己さん・・・。
こんな私に結婚しようと言ってくれた。
昔の事なんて何も聞かない、と。
優しい松宮家の人々
和己さんは、私には過ぎた人。
松宮家の人々は、私には過ぎた家族だ。

『これからもずっと、俺の傍にいてくれないか・・・。』
不器用なプロポーズ。
ゴメンナサイ。
それしか言えなかった。
私は和己さんと結婚できるような女じゃない。
『待ってるから。良い返事が聞けるまで、ずっと待ってる。』
そう言ってくれた。
嬉しかった。
でも。

    死んでも離さないよ・・・璃羽。

ウィン・・・貴方に穿たれた楔が、今も私を束縛し続けている    



    再会 Ⅲ    



この雨が雪に変わる前に、貴女の許に辿りつかなくては。
凍えた貴女の心を思うと、今はただ、抱き締めたい。
解っている。
貴女の心は、今はもう、何処にもない。
彼が、あの日、天国へと持ち去ってしまったから。
それでも、貴女はおれ達を頼ってくれた。
それだけで、いい。


お金がいるの。
私のせいで、咲おばあちゃんが。
助けたいの。
でも、ここじゃ助けられない。
死んじゃう。
スティーブ。
今更、こんな事頼むの厚かましいって解ってる。
でも。
助けて・・・助けてください。
お金は、一生働いて返す。
だから。
助けて、スティーブ。

ゴメンナサイ・・・ゴメンナサイ・・・。


厚かましいだなんて言わないで。
散々貴女を泣かせて傷つけたオレ達に『ゴメンナサイ』だなんて。
そんな言葉を言わせてしまうのは、きっとオレ達の罪。
泣かせて、傷つけて、苦しめて。
犯して穢してボロボロにして。
また、貴女を独りぽっちにしてしまった。
この罪を、どうやって貴女に償ったらいいのか。

だから頼っていいんだよ。
オレ達の許に、戻っておいで。


「スティーブ。」
「どうした?」
「すみません、実は・・・。」
「病院のヘリポートが使えない?」
「はい。救急ヘリ以外使えないそうです。」
「近くにヘリの降りられそうな場所は?」
「郊外に使われていない滑走路があります。」
「滑走路?」
「はい。農作物を運ぶ為に作られたそうですが・・・。」
「経費として割に合わない。」
「そのようです。今は観光客の遊覧飛行に使っているようです。」
「降りられるか? 病院までの時間は?」
「許可はとりました。病院までは車で一時間ほど。」
「ふぅ・・・なんて田舎だ。しかし、観光客と言わなかったか?」
「癒しの町として観光開発されたのはごく最近なのです。」
「癒し、ねぇ・・・病院の近くにホテルは?」
「街中にプリンセス・ホテルがあります。病院からだと、徒歩20分。」
「プリンセス・ホテル?」
「はい。まだ新しいですね。」
「そこの最上級は?」
「・・・と。と。・・・う。」
「なんだ?」
「プリンセス・スウィート・・・一泊14万・・・。」
「はぁっ?!」
「ち・・・地方の観光ホテルですから。お手頃価格といいますか・・・その・・・。」
「却下。」
「では、ヘリで30分ほどの場所に某ホテルがあります。」
「それ。しばらく滞在する。」
「はい。」

操縦席の隣でPCと睨み合う秘書・飯田。
日本での生活はすべて彼が支えてくれていると言っても過言ではない。
語学は堪能なオレ達だが、異国で生活するとなると話は別で、彼は三年前からずっと
オレ達を傍で見て来た。
気難しいディアンは別格として、口の堅い飯田は、姫ちゃんにとっても特別だった。
だから、姫ちゃんが行方不明になった時も、彼だけは居場所を知っているだろうとタカを
括っていて怒鳴られた。
思えば、温厚な飯田が怒鳴ったのは、後にも先にもこの時だけだった。

    散々泣かせて・・・泣かせて泣かせて、この有様ですかっ!!

解ってる・・・。
解ってるよ、飯田。
お前にしてみれば、別れた娘と同じ年の姫ちゃんが男達に弄ばれている様を見続ける事
が、どれほど辛い事だったのか。
解ってて。
でも、止められなかった・・・。

罪は、償う。
何を犠牲にしても。
だから、早く。
早く、あの貴女(ひと)の許へ。


すべては、懐かしい思い出だった。
暗く、孤独な幼い日々にあって、半年だけの。
懐かしく温かな思い出。
あの日々を忘れた事など、一度もなかった。

ある日、突然現れた長身の青年。
灰色の髪と、同色の切れ長の眼。
宣教師として教会にやって来た彼は、その日から施設のスタッフとしても働き始めた。
貧しい施設では、人件費など掛けられない。
何より、人を雇っても長続きしないのだ。
心に大きな傷を持つ施設の孤児たちは、多かれ少なかれストレスを溜め、日々暴走
してしまう。
それは日常的なケンカであったり、イジメであったり、破壊衝動であったり。
叱れば反抗し、優しくすれば独占欲を出し、放っておけばイジける。
そんな職場で、雀の涙程度の給料の為に働く者など多くないのだ。
だから施設ではボランティアに頼り、宣教師に手伝ってもらい、施設を何とか維持して
いた。

彼も、最初は面食らったようだった。
日本の生活にも慣れていないのに、問題を抱えた子供たちの世話など厄介なだけだっ
ただろう。
それでも、根気強く子供たちに接し、驚くほど早く施設の生活に慣れていった。
もしかすると、彼の心にも何かしらの傷があったのかもしれない。
この頃の私には、知る術などなかったが。

だから、いつも独りでいる私に彼が興味を持ったのも、何処かに感じるものがあったの
だろう。
床に膝をついて尚、真上から見下ろして来る彼に、最初は怖いと思ったものだ。
けれど、片言の日本語で、一生懸命私に話しかけてくれた。笑い掛けてくれた。
初めてだった。
私という存在を。
誰かの付属品ではない私を見てくれたのは。
彼が、ウィンが初めてだったのだ。

それは、同情であっただろう。
憐みであった事も否めない。
泣く事も。笑う事も。怒る事も。
およそ喜怒哀楽という感情とは縁遠い世界で生活して来た私にとって、施設での生活
は決して楽しいものではなかった。
孤児達の陰湿なイジメは終わる事がなかったし、ウィンだとて、私一人に関わっている
訳ではない。
施設では、孤児たちを平等に扱うのが鉄則だ。
その鉄則が、守られていたかは怪しいものだが。

それでも、人との会話すら成り立たない私にとって、彼の声は大切なものだった。

「アレハ、サクラ?」
「うん・・・。」
「花ハ?」
「散ったの・・・。」

ウィンが施設にやって来た時、庭の大木は葉桜となっていた。
桜は散って、濃い緑が木陰を提供するだけの、私のお気に入りの場所。

「綺麗ダッタ?」
「うん。」
「見タカッタナ・・・。」
「来年も、咲くって・・・。神父さまが言ってた。」
「ソウ? 良カッタ。ジャ、来年ハ一緒ニ見ラレルネ。」
「・・・え・・・?」
「一緒ニ、見ヨウネ。」
「・・・。」
「綺麗ナサクラ。一緒ニ、見ヨウ。ネ?」

「うん。」


果たされなかった約束・・・。
半年後。
ウィンは突然いなくなった。
誰にも何も言わず。

いつもより早い初雪が、音もなく降った朝の事だった・・・。



    声音 Ⅱ    



「公衆電話・・・?」

それは、偶然の出来事だった。
鳴らないと解っている携帯。
それでも、充電を欠かした事はない。
この時もそうだった。
指先から滑り落ちた携帯。
簡単に壊れる物ではなかったが、念の為にと確認をした刹那の驚き。
着信歴に残る゛公衆電話゛の文字。
日時は・・・。
あの日。
あのホテルにいる間・・・。

まさか・・・そんな。
ホテルを出た後、ハイヤーの中で確認した。
待受画面に着信のマークはなかったはずだ。
けれど・・・。

「まさか・・・。」

残る着信歴。
だが、着信音を聞いた記憶はない。
考えられるのは、バスルームでの僅かな時間。
二台の携帯を枕元にあるテーブルの上に置いていた。

    見つめあうと素直におしゃべりできない・・・    

あの貴女(ひと)がよく口ずさんでいた歌。
静かに流れる着ウタ。
聞いてない。
私は聞いてない。
では・・・。

まだ日本にいるはずの女に電話した。
女は言った。

寝ぼけていて、条件反射的に出てしまったの。
無言電話だったわ。
間違い電話だと思って何も言わなかったけど。
どうかした?

頭の中が、真っ白になった。
ホテルのロビーで受けたスティーブからの電話。
歯切れの悪い会話。

何てタイミング。
間が悪いにも程がある。

いつもいつも後悔ばかり。
いつまで続くのか。
私が、壊れてゆく。

病院は嫌いじゃない。
哀しい思い出が多い中にも、救われた記憶があるからだ。
私に生まれて初めての温もりを与えてくれたのは、病院の看護師達であったし、
優しさを知らなかった私に絵本を読み聞かせ、添い寝をしてくれたのも看護師達だった。

両親という存在と別れたのも病院であった。
ある日、母親という存在は、私の両肩を痛いほど掴み、医師に詰め寄った。

この子の心臓を移植できないのか、と。

父親という存在もそれに続いた。

他人の子供なら無理でも、ウチのコなんだから使ってくれ、と。

兄の心臓は、既に海外移植を断念せざるを得ないほどに悪化していたのだ。
そうなると、国内での移植しかない。
だが、ドナーがそうそう見つかる訳もなく、兄の命は風前の灯火だった。
私の両親という存在は、息子の命を救う為、娘の心臓を使ってくれと医師に迫ったのだ。

医師は青褪め、児童相談所に通報し。
結果、両親という存在はカウンセリングの為精神科へ入院。
私はそのまま施設に入った。
その後、一度も両親という存在にはあっていない。
兄は、その日から数日後に亡くなった。

私は、それから施設という施設をタライ回しにされた。
何処の施設も私の受け入れに難色を示したのだ。
私の兄は、いわゆるアイドルと呼ばれる存在だった。
赤ん坊の時から幼児商品のモデルを務め、小学校に入る頃にはドラマの子役、
映画の声優までもこなす人気の芸能人。
元々サラリーマンだった父と普通の専業主婦だった母は、息子の誕生とデビューを
機に個人プロダクションを経営。
兄の人気が上がるにつれ、セレブ気分でテレビにも頻繁に顔を出していた。
だから、兄の死後。
病院での出来事が外部に知れると、ワイドショーは毎日のように死んだ兄と、その
妹の心臓を移植しろと医師に詰め寄った鬼畜な両親の話で盛り上がってしまった
のだ。
それはそれは、人道にも劣る親と、悲劇の娘として暴かれる私の生活。
何処の施設も、ワイドショーに取り上げられる少女Aの引き取りを拒否したのは仕方ない
事だったのだろう。

そんな私が最後に辿り着いたのが、小さな教会の運営する孤児院だった。
春になると、庭の大きな桜の木に満開の花が咲く小さな教会。
ボランティアと、信者の寄付によって運営される貧しい施設。
雨が降ると、施設の食堂の半分は雨漏りで床が濡れ、時々ツンとカビの臭いがした。

アジア系の混血児の多いその施設で、私は陰湿なイジメに合いながら暮らし。
そして、6歳の春。
彼に出逢った。



    再会 Ⅱ    



何も望まない貴女(ひと)だった。

養父であるウィンに連れられ、ディアンと共に入った教会。
日本の片隅の町にある。
小さな小さな施設。
町自体は都会と呼ばれる大きな都市であったが、教会はその都会の片隅にひっそりと存在
しており、更に孤児院と呼ばれる施設は古く、小さく、隠しようもなく貧しかった。
17年ぶりだ・・・。
そう言って懐かしそうに庭を眺めるウィンの目に、あの大きな木はどう映っていたのだろう。
祖国の邸(やしき)にも、そういえば同じ桜の木があった。
養子としてディアンと共にウィンに引き取られた時、新しい住まいとなった邸の庭で、オレ達は初め
て桜の花の咲き誇る様を見た。

満開の桜。
けれど散り急ぐ花。

ディアンと二人。
その大木の下で食事をするのが好きだった。
ウィンには、何か大切な思い出があるようだったが。
そのクセ、彼は桜に近付こうとはしなかった。
邸の自室から見える場所に桜を植え、それを毎年窓から眺め見る。
花が降り注ぐように散り出すと、切なげに俯いて、その花びらをオレ達に拾わせた。

桜には匂いがない。
そんな花びらを小瓶に詰めて、毎年、毎年、彼は部屋の片隅に飾っていた。
何の意味があるのか。
それを知ったのは随分と後の事だった。

あの貴女(ひと)と再会した時のウィンの顔を、今でも忘れる事は出来ない。
彼が、あんな眼差しで女性を見るなんて。
優しさと、愛情と、切なさと、少しの戸惑いと。
その入り混じる感情は、彼女の見開かれた瞳からポロリと零れた涙に瓦解して・・・。

あんな悩ましげな彼を、オレもディアンも知らなかった。
彼は、無言のままにあの貴女(ひと)を抱きしめ、無言のままに髪に顔を埋め、ゴメンネ・・・、と
囁いた。
戸惑う貴女(ひと)の白い頬を大きな両の手で挟み、その濡れた瞳に自分を映して儚く笑う彼の横顔。
「ウィン・・・。」
震える優しい声に名を呼ばれた刹那の、苦しげな彼の表情。

彼の止まっていた時間が、その瞬間に動き出した。
そう・・・。
あの瞬間まで、彼の時間は止まっていたのだ。

16年一緒に暮らして来たのに。
オレ達は、彼の事を何も知らなかった。
あの貴女(ひと)と出逢って、オレ達はそれを痛烈に自覚した。

彼が、どれほどあの貴女(ひと)を愛していたのか。
どれほどあの貴女を愛し、あの貴女を求め、狂っていたのか。
そして、その事が、オレ達の運命を大きく変えてしまうなんて・・・。

「・・・。」
プロペラの爆音に掻き消されたその名を呟く度、胸の奥がキリキリと痛む。
泣かせたかった訳じゃない。
傷つけたかった訳じゃないのに。

舌の上に広がる苦味。
これは、あの日味わった涙の味か。
それとも・・・。

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