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2007.12。公開開始。 このブログは み羽き しろ の執筆活動の場となっております。 なお、ブログ中の掲載物につきましては「無断転載・無断使用を禁止」させていただきます。
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な、ななな、なんだなんだなんだっ。
何っ、この超癒し系小動物は、何だっ!!
人間か。人間なのか。
何だっ、この殺傷能力100%の愛くるしさはっ!!

「海斗…落ち着け。」
無言のままパニクる海斗を憐れんだのか、遠野がそっとその耳元で囁いた。
放っておいたら本当に天国まで逝きそうな取り乱しっぷりだ。それほど海斗はパニクっていた。
周りに人がいなければ、絨毯の上を転げ回り、殴りまくり、のた打ち回りたいほどだ。
心臓がバクバクいって、頬に熱が溜まって来るのが自分でもよく解る。口元を覆った手が震え、目の奥が痛い。

あの美男美女に突っ込みまくりの椿をして『極上天使』と言わしめたのは、この激烈に愛くるしい癒し系小動物だったのか…。
海斗は思わず喉の奥で唸ってみる。
久秋の腕の中、じぃっと海斗を観察している瞳の愛らしさにクラリと来た。
俺、そっちの趣味無い…。そう思っても、この小動物から目が離れない。可愛過ぎる。どうしよう。

「久にぃ…あの人、どうしたの。」
硬直してしまった海斗を訝しんだのか、秋典が愛らしい声で久秋の耳元に囁いた。大抵の人間が同じ反応をするのだが、その度に秋典は同じ事を聞く。理解できない事は気にかかる性質なのだ。
しかし、それにしても海斗は過剰反応し過ぎだ。
「んー、ねぇ、紫朗さん。この人ヤバくね?」
久秋もなんとなーく不安になって来た。
「はぁ…いえ、そっち方面の趣味はありませんので…。」
そう言いつつ、遠野も頬を引き攣らせる。海斗に性癖の方向転換なんてされては大変な事になるのだ。この部屋で血の雨なんて降らせたくはない。
秋典はきゅうっと久秋の首に抱きついて、結局事の成り行きを観察している。好奇心旺盛なお子様なのだ。

一方、海斗はまだパニクっていた。視線の先には殺傷能力100%の愛くるしい顔がある。
これが、極上天使…。確かに、天使だ。だが、小悪魔的な可愛らしさもある。
ミルク色の肌は意外と健康的だが、瑞々しい水桃蜜(すいみつ)のような頬にはやはり赤味がない。漆黒の髪はふわふわで、きっと触れたら羽毛のような手触りだろう。
大きな瞳も漆黒で、これは兄弟共通なのかもしれない。くっきりとした二重に長い睫毛。その睫毛に縁取られた眼元はまるでアイ・ラインを引いたようだ。目尻は少しつり上がっているが、久秋のようなキツさは感じられない。小さな鼻も、蜜を滴らせたような唇も。顔のパーツのすべてが絶妙で、綺麗だ。

「海斗…そろそろ正気に戻れ。」
遠野に肩を軽く揺らされ、やっと海斗は現実の世界に戻って来た。
心臓に悪い。この兄弟は。
「す…すみませ…ん。」
やっとの思いで視線を下に外せば、足元で白尾が睨んでいる。完全に不審者扱いだ。
「ご…ごめんね…。」
白尾に謝ってどうする、自分。
心で自分自身に突っ込みを入れ、大きく深呼吸すると、海斗はやっと視線を秋典に戻した。
しっかりと兄に抱きつく小さな身体は、やはり14歳には見えない。
部屋着なのだろうか。細い身体を包む膝丈まである黒いセーターの胸元には小さな白いバラが編み込まれていて、足首まである黒のレギンスの踝辺りにも白いバラがワンポイントで刺繍されている。
そう言えば、久秋の身体からもバラの香りがしていたな…。庭にバラがあったので気にも留めなかったが、何か理由があるのだろうか。
ふと、そんな事を思いながら、海斗はやっと落ち着きを取り戻したように微笑んだ。

「はじめまして、秋典さん。東城海斗です。」


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「コーヒーでよろしいですか?」

背後から聴こえた伊達の声に、物思いに沈みかけた海斗はビクリと肩を震わせた。
異質な黒い世界にいる事で、精神が落ち着かない。気を抜くと足元から闇に引き摺り込まれてゆく錯覚に陥る。
ここで、本当に三兄弟は暮らしているのか。
末っ子への影響を考えたらマズくないのか。
色々と考えを巡らして、けれど結局答えは出ない。
ただ、フと遠野を見上げると、酷く穏やかな眼差しで久秋の背を見詰めている。
もしかして死んだ弟を思い出しているのだろうか。
海斗は会った事などないが、遠野が海斗を拾った理由が弟の死である事は、遠野の周辺では有名な話だ。
「ああ。海斗もコーヒーでいいのか。」
「あ、はい。」
自殺した弟を、今でも遠野は愛している。
もう10年も過ぎてしまったが、一生心の傷として遠野の中に残るのだろう。

遠野の背を飾る炎の昇り龍は、天を睨んで嘆き悲しんでいる。
届かぬ手を必死に伸ばし、二度と戻らぬ命を嘆いて慟哭しているのだ。
弟の死後彫られたせいで、どんなに勇ましい龍を彫ろうとしても、どうしても嘆き悲しむ姿になってしまうのだと、一流の彫り師が頭を抱えたと言われている。
何度か海斗も見ているが、痛々しいほどに美しい炎の龍は、遠野の心を映し出しているようで長くは見ていられない。
雲を掻き分け失われた命に近づこうと天に昇らんとする龍のあまりの痛々しさに、後に天才彫り師がその龍の手に蓮の花を彫り足したほどだ。
そうしてやっと、龍は落ち着いた。手に握りしめた美しい蓮の花に、愛おしい命の息吹きを感じ取ったのだろう。
それでも、決して癒えない傷は残った。
遠野の心に。

「砂糖とミルクは?」
「いや、私も海斗もブラックだ。」
伊達の声に遠野が答える。
ミニ・バーの奥からコーヒー豆を挽く良い匂いがする。
ここには椿の意向で何もかも一流の物が揃えられていると遠野が言っていたが、家政婦や料理人を置かないのはやはり愛人の為なのだろう。
海斗を同居人として選んだのも、椿の意向だと聞いた。

海斗は純粋なゲイだ。
遠野に拾われてからは誰とも性交を持っていないが、完全なウケなのだ。
だから椿も安心して愛人の傍に置けると判断したのだろう。

『わふっ。』と白尾の鳴き声がした。
どうやら末っ子のお出ましらしい。
ゆっくりと立ちあがった久秋の左腕に、子供がしっかりと抱き締められている。

「お待たせ。」
久秋の声に、しかし海斗は硬直したまま動けない。
「海斗。三男の秋典さんだ。」
遠野の言葉に、頷く事すら忘れてしまった。
思わず口元を手の平で覆うと、海斗は雄叫びを呑み込んだ。

海斗の目の前に、激烈に愛くるしい生き物がいた。
ここは、まるで海の底だ…。
ならば、この少年は海神か。
16歳だというが、とてもそうは見えない。落ち着き払った態度といい、物腰といい、口調といい。
海斗は椿の少年時代を想像してみた。きっと久秋と重なり合う部分が多いだろう。
勿論、海斗は椿の少年時代など知らないが。
言ってしまえば、久秋は極道向きの男なのだ。
多分、その事を周囲の男たちも、本人も知っている。
ただ、誰も言わないのだろう。

言葉にすれば、運命は動く。
本人の意思に拘る事無く。
それは、避けねばならない。
極道に、明日の約束はないからだ。
その世界に、他人の言葉で、思惑で、久秋を喰わせる訳にはいかない。
何より、椿がそんな事を許すまい。
たった今、久秋に会ったばかりの海斗ですら、惜しいとは思うが。

海斗の視線の先。
黒い世界に佇む少年は、闇の帝王と本当によく似ていた。

「ところで、鷹久さんは。」
遠野の声に、海斗は我に返った。
この部屋は、異質だ。気付けば物思いに囚われる。
「ああ、風呂の準備。秋の着替えを取りに。いつ紫朗さんが来るかって、秋、待ってるって動かなくて。ほんとはもう寝てる時間だし。」
「それは、申し訳ない事をしてしまいましたね。で、その秋典さんは。」
「ん? 雀のかくれんぼ。」
「…なるほど。」
久秋の言葉に、遠野が笑う。
二人の視線の先には漆黒のスポーツ・カーだ。
海斗が目を凝らすと、何やら中で蠢いていた。

『どんなに上手に隠れても、かわいいオツムが見えてるよ。』

ああ、車の中に隠れてこちらを見ていたのか。
光の反射でよく見えないが、確かに人影がある。
「ちょっと待ってて。」
久秋はそう言うと、ゆったりとした足取りで車に近づいた。
指先でコンコンとウィンドーを叩く。
と、カチャ…と音がしてドアが開き、真っ白い塊が二つ、転がるように飛び出して来た。
「へ?」
海斗が妙な声を出すと、遠野が、ああ、忘れていた。と苦笑した。
「椿さんのペットだ。アフガン・ハウンドの『白尾(ハクビ)』とメイン・クーンの『太郎』。白尾はその名の通りアルビノだ。」
「アルビノ…。」
確かに、これほど白いアフガン・ハウンドなど海斗は見た事がない。
海斗を警戒しているのか、白尾は顔だけを海斗に向けて、体で壁を作るように久秋の背に立っている。
「鷹久さんが、いつも『弟たちを守ってね』と言うものだから、白尾は知らない人間が来ると二人から離れないんだ。ヘタに近づくなよ。襲いかかって来るから。太郎はマイ・ペースだな。」
苦笑する遠野の視線の先、緊張する白尾とは逆に太郎はすっかりソファで寛いでいる。

久秋は、自分の肩幅程度に開いたドアの前に膝をついて、何やら話をしているようだ。
人見知りが激しいのだろうか。秋典はなかなか出て来ない。
すべてが黒いリビングを彩る満天の星空。
唖然と見まわす海斗の視線の片隅で、大きな影がゆらりと動いた。
その瞬間。パッ、と、蒼い照明に切り替わり、星空は消えた。
あの不可思議な音だけは聴こえ続けていたけれど。

「ただ今戻りました。」
「おかえりなさい、紫朗さん。」
リビングの奥から声がする。
その声のする方に視線を向け、再び海斗は遠野の背中に寄り掛かる。

「な…なんでリビングにスポーツ・カー…。」

椿邸の広いリビングには、インテリアとして漆黒の車が飾られていた。勿論本物だ。
普通、グランド・ピアノとかじゃないのか…? ここ、超高層マンションの最上階だろう…。ぐったりと項垂れた海斗は盛大な溜息を喉の奥で噛み殺す。
だが、広さの割には物が少ない。目立った収納家具もなく、全体的にスッキリとしている。

扉から見て右側には6席の椅子が付いたカウンターがあり、見る限りはミニ・バーとなっている。その奥はコの字型のオール電化キッチンとなっており、リビング側からは中が見えない作りだ。
扉の正面の壁は一面ガラス張り。勿論防弾ガラスだろう。遠くにオフィス街にある高層ビルの明かりが散らばっている。
扉と扉の間にある壁にはスクリーンのような薄型テレビが掛けられており、室内のほぼ中央にL字型の7人掛けソファが大きなガラス・テーブルを挟むように2つ置かれている。すべて特注だろう。
インテリア代わりの車は奥の扉に向かって斜めに置かれており、その奥の壁にドアが一つ。掃除機などを置く物置のようなスペースらしい。
ダイニング・テーブルなどは見当たらないから、キッチンに置かれているのか、或いはカウンターを利用しているのか。それとも、食事などはプライベート空間で済ませているのか。この段階では海斗に解るはずもない。

よく見ると、車とソファの間にある広い空間に、大小様々なクッションが散らばっていて、その中に、カプセル型の家庭用プラネタリウムがポツンと置かれていた。
空間すべてが黒いので、目が慣れても何が置かれているのか認識するまでに時間が必要だった。

「その人が、俺たちと同居してくれる人?」
少し掠れたテノールが、リビングの奥から聴こえて来る。
車のボンネットに座っていた長身の男に、ふと、海斗は視線を止めた。
黒い空間に溶け込む人影が、ゆっくりと動いて海斗の目の前に立つ。
海斗は、思わず見惚れてしまった。
脚…長げーっ。

「ええ。今夜からでも同居させるつもりです。名前は東城海斗。」
「思っていたより若いね。」
「五月には28歳になりますよ。童顔なんです。」
「え、ほんと?」
「はい。海斗、二男の久秋さんだ。」
遠野の声に、海斗はビクリと肩を震わせた。
それまでの二人の会話も殆ど耳に入ってない。
「…え…あ…。」
「?」
「東城…海斗です。」
「うん。今聞いた。よろしく。」
「よ…よろしく。」

海斗の目の前に立つ戸崎久秋は、頗るイイ男だった。イケメンなんて軽い言葉では言い表せないような、飛び切りの男前。
浅黒い肌。彫りの深い顔立ち。髪も瞳も漆黒で、くっきりとした二重の眼元は、目尻がキリリとつり上がっている。そうとう気が強そうだ。
身長は伊達とそう変わらないだろう。ただ、細身だ。肩幅はあるが、身体全体に厚みがない。
黒い革のパンツに、黒い長袖のTシャツ。綺麗な鎖骨にブルー・カメオを結んだ革紐がゆれる。
椿の弟だと言ったら、誰もが信じるだろう。

椿と久秋は、雰囲気がとてもよく似ていた。
椿邸の土間を含む玄関ホールは広かった。
一般家庭のリビングがすっぽり入ってしまうほどの広さだろう。黒くて、艶のある土間から続く僅かな段差のある玄関フロアもまた真っ黒で、海斗は上下の感覚を失いそうになる。
「どうぞ。」
伊達に勧められ、真っ黒なスリッパに履き替えると遠野の後に続く。広い廊下の床は毛足の長い絨毯が敷き詰められており、その毛足の密集具合いから最高級の日本製であると海斗は確信した。大の男が乗っても、絨毯は僅かな窪みすら残さない。
高い天井を見上げると、埋め込み型の蒼い照明。
「まるで海の底だな…。」
海斗がポツリと呟くと、遠野が意味深な笑みを浮かべ、伊達は苦く笑った。

長い廊下の左側にドアが三つ並んでいる。
セキュリティ・ルームとトイレとバス・ルーム。
この三つは主に警護班が利用しているらしい。廊下の奥には分厚いドアがあり、その向こう側が三兄弟のプライベート・ルームなのだと伊達が説明してくれた。因みに、この分厚いドアは手榴弾を投げ込まれてもビクともしないそうだ。
リビングは、このドアの手前にある。廊下の右側だ。出入り口は二か所。どちらも左右開きの扉で、奥の扉は分厚いドアの間近に作られていた。

さっきから、妙な音がする。
音楽のような。鳴き声のような。
なんだろう。
頻りに首を傾げる海斗に気付いても、遠野からの説明はない。
何やら愉しんでいる雰囲気さえある。
「海斗。」
「はい?」
「何を見ても、何が起こっても、決して大声を出すな。いいな?」
「あ、はい。」
どうやら、このリビングには大きな秘密があるらしい。

コンコン。

伊達のノックと共に玄関に近い扉が開く。
途端、あの妙な音がハッキリと聴こえて来た。

「…え…?」

驚きに見開かれた海斗の視線の先。
広いリビングはプラネタリウムと化していた…。
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