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2007.12。公開開始。 このブログは み羽き しろ の執筆活動の場となっております。 なお、ブログ中の掲載物につきましては「無断転載・無断使用を禁止」させていただきます。
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一週間前。
このマンションに越して来た時、鷹久は弟たちと一緒に携帯をもらった。
プライベート・ルームにも管理室にも家電はあったので鷹久は遠慮したのだが、個人的に、と椿は三人に一月中旬に発売されたばかりの最新型携帯を無理やり持たせた。自由に使えと言って。
けれど。
結局その携帯が使われる事はなかった。この一週間。一度もだ。
長い間引き篭もり状態で暮らしてきた三人には携帯で連絡する相手などいなかったし、唯一、鷹久が頼りにしているあづみにですら、自分からは電話した事などない。いつも向こうから連絡がくるのだ。それも入院中は病室の電話に来たし、退院後は椿邸の管理室の家電に来た。
あづみはまだ、鷹久たちが携帯を持った事を知らないのだ。何しろ本人たちに携帯を持っているという自覚がないのだから、誰かに、この場合はあづみだけだろうが、携帯番号を教えるという発想がない。
結局、宝の持ち腐れ状態が続いていた。


「どうしよう…。」
何度切ない溜息を吐いても、それで目の前の現実がどうにかなるものでもない。ボロボロになった服が元に戻る訳でもなければ、新しい服が降ってくる訳でもない。誰かに相談しなければ、この現実はどうにもならない。
そんな事は解っている。解っているのだが、それでも手にした携帯を睨みつけたまま鷹久は短縮ナンバーが押せないでいた。
短縮03。
それを押せば、目の前の現実は回避出来る。
そして…あの人の声が聞けるのに。
この携帯を、鷹久は一度も使った事がない。自分からは。
怖かったのだ。
椿の声を聞いた途端、会いたい、なんてとんでもない事を口走ってしまいそうで。

「ほんとに、もう…。」

自分でも理解できない。
まさか、一目惚れした相手が極道だなんて。
いや、それよりも…なぜ男の人なんだ。
確かに、椿は良い男だが。彫りの深い顔立ちといい、スラリとした長身といい、長い脚も、綺麗な指先も、何から何まで男の理想を具現化したように整っている、の、だが。
何より…。
「声がいいんだよなぁ…。」
思わず呟いて、鷹久はポッと頬を染める。
椿の声は、よく通るバリトンだ。低く名前を呼ばれただけで、背筋に痺れが走り、甘く腰が蕩けてしまう。
普段はサングラスに隠されている切れ長の眼も、その視線は色気があって、流し眼なんてされたら大抵の女は、いや、きっと男もだが、今の鷹久のように頬を染めてしまうだろう。
他人(ひと)を惹きつけるに充分な要素を、椿はすべて持っているのだ。完ぺきに。
「はぁ…。それにしたってなぁ…。」

それにしたって、自分と同じ男だ。
恋愛対象になどならないだろう、普通。

溜息は、一度吐き出すと止まらないものらしい。目の前の現実も放り出して、鷹久は物思いに耽る。入院中、一度だけ椿と指先を絡めた事がある。秋典の病気が発覚して、情けなくもぶっ倒れた時だ。泣きながら目覚めた時、処置室には椿だけがいて、横たわったままの鷹久の手を握ると何も言わず指先を絡めてくれたのだ。
あの時、鷹久は指先の毛細血管から一気に心臓まで椿の熱が流れ込んだ錯覚に驚き、クラリと眩暈を起こした。そんな場合ではなかったのに、自分ではどうする事も出来なかったのだ。
そして自覚した。
自分は、椿という男に恋をしているのだと。

本当に理解不能だ。
まさか初恋の相手が、一目惚れの相手が、男で、しかも極道だなんて。
映画のキャッチ・フレーズではないが、愛した男が極道だった、だけなのか。
鷹久にしてみれば初めての感情で、初めての経験で、本当にどうしていいのか解らないのだ。
大体、なぜ自分が椿の家に暮らしているのか、それは多分あづみのお陰なのだろうが、それにしたって椿はどういうつもりで自分たち兄弟を引き取ってくれたのか。どうしてこれほど良くしてくれるのか。それがまったく解らない。

交換条件など何ひとつ出されてはいない。
下心も感じ取れない。
何も要求されない。
今まで自分たち兄弟に近づこうとしていた人間達とは明らかに違う。違い過ぎるのだ。
だから、どうしていいのか解らない。

「椿さん…。」

ここへ来てから一度も会ってない。
声も聞いてない。
贅沢な暮しの中から、一番必要で大切なものが抜け落ちている。
手の中の携帯を睨んだまま、鷹久は途方に暮れた。
目の前の現実回避より、会いたい、という単純な想いの方が強くて。

「え…?」

その時…。
突然、手の中の携帯からジュピターが流れた。
あわててディスプレイ画面を見ると、椿の名が見て取れる。
何てタイミングだろう。
鷹久は、携帯を握ったまま固まってしまう。
頭の中は真っ白だった。

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オフ・ホワイトの特注リムジンが闇を切り裂きひた走る。
中にいる人間には少しの揺れも感じさせず、けれど猛スピードで。

ふぅ、とらしくもなく溜息を吐き、椿は大きなクッションに身体を預け、無駄に長すぎる脚を高く組み替えた。
以前は、自分の乗る車にクッションなど置いた事はない。向かい合わせの座席など、生まれてこの方必要だと思った事はなかったし、まして車内に空気清浄機まで設置させるなど、ほんの数カ月前の自分からは考えられない。

あの玲瓏な漆黒の瞳に、白くたおやかな細い指先に、甘く香る白磁の肌に、魅せられた…。
穢れを知らぬ魔性の男。
否。
まだ、少年だ。
椿と出逢った時、彼はまだ17歳だったのだから。

椿はクッションに肘を乗せ、ゆるく頬杖をつく。
かつても今も、平然と他人(ひと)を殺す手は意外に繊細で、長い指先には傷一つない。
椿は極道の家に生まれ、当然のように極道となった。だが、それ以外の道が無かった訳ではない。彼は小・中・高と有名私立に通い、一流大学を主席で卒業したあと二年間海外留学を経験している。両親は決して極道の道を薦めはしなかったし、椿の傍らには常に界桜グループの後継者がいた。椿は生まれながらに世界有数の財閥を後ろ盾として持ち、実家はこれまた日本屈指の極道の総元だったのだ。
自由な生き方もしようと思えば出来た。
けれど、椿はそれを由としなかったし、家族を除けば周囲も椿の自由を認めなかったと言える。これだけすべてが揃った逸材を手放すほど、極道の世界は馬鹿でも愚かでもなかったという事だ。
椿がその手を初めて血で濡らしたのは14歳の時。初めて人を殺したのは16歳。初めて女を抱いたのは13歳の時で、初めて男を抱いたのは22歳の時だった。
そして、初めて人が死ぬのを見たのは6歳の時。自分の世話役だった男が、自分を庇って死んだのだ。兄のように大好きだった男だ。自分のちょっとした我儘が彼を殺してしまった。

自由には、それと同等か、それ以上の代償が求められる事を、椿は幼い頃に知った。
あの事件を切っ掛けに、椿は誰よりも強い力を望むようになったのだ。自分を、大切な者を護るだけではない、自分に刃向う敵を完膚なきまでに叩き潰す為の力が欲しかった。
そして、それを手に入れた。
多くの犠牲を払いながら。

ふと、物思いに耽っていた椿は胸ポケットから漆塗りの薄いシガレット・ケースを取り出すと、一瞬試案してから細いそれを取り出した。指に挟んだ細いそれは、黒い紙巻きタバコ。自分の為に作らせた特注品だ。

----シュッ…。

シガレット・ケースと対になったライターで火を着けると、細い先端の焔から淡く香る紫の煙。車内を満たす甘さに知らず椿は目を細める。
タバコの葉を巻く黒い紙には、薔薇の香料が染み込ませてあった。

薔薇は、鷹久の肌の香りだ。
別段コロンや香水を使っている訳ではないのに、鷹久の躰からは幽かな薔薇の香りがするのだ。
だから作らせた。

ハマッてるな…。
自分でも尋常ではない事など解っている。
34年の人生の中で、一人の人間にこれほど固執した事はない。
執着…なんて生易しいモノじゃない。
自分の中にこんな感情が存在している事など、鷹久に出逢うまでは知らなかった。
出逢った瞬間。
あの眼差しに、指先に、香りに、囚われた。
まるで薔薇の牢獄に自ら進んで閉じ込められた囚人のようだ。
時折、自分のすべてが、あの魔性に染められてゆく錯覚に陥る。

別に、それはそれでいいのだが。

「立花。」
手元のスイッチで助手席にいる秘書を呼ぶと、正面中央にあるモニターが一人の男を映し出す。
『はい。』
野太い声の掠れは、ヘビースモーカーの勲章だろうか。
後部座席と完全に隔離されてはいても、さすがに椿のいる車内で煙草に手は出さないが、立花の指先からヤニの匂いが消えた事はない。
あの愛くるしい極上天使が『おててあらって。』と言う度に苦笑する立花は、けれど禁煙など実行に移す気はないだろう。
無骨で大きな男の手が、なぜか極上天使のお気に入りだ。
死んだ父親を思い出すのかもしれない。
二人の兄の繊細な手では、やはり、父の代わりにはならないのだろう。
いつも、寂しくなると警護主任として側にいる角井の手に触れたがるという。
角井は、身体のゴツい男だ。
立花も。
二人共外見が強面なので普通の人間は敬遠するが、三兄弟は違っている。
自分たちを護ってくれる大きなモノ、強いモノに、三兄弟は無意識に惹かれるのだ。
散々な目に遭って来たから。
人が羨む美しさも、愛くるしさも、彼らにとっては厄介なモノでしかないという事だろう。

「行き先変更だ。マンションに向かえ。」
『解りました。』

数多くのマンションを所有する椿に、けれど立花は何処のマンションか、とは聞かない。行き先の再確認をしないなど、以前の彼ならば考えられない。
だが、立花には解っている。
恐らくは、椿の傍にいる男達の殆どが、今の彼の言葉に同じ判断をするだろう。

帝都郊外の高級ホテルに向かっていたリムジンは、何事も無かったかのように滑らかに都心へと進行方向を変える。
三兄弟の住まう高級マンションへ。
椿邸には、大きく分けて三つのフロアがある。
ひとつが、身辺護衛の交代要員などの為に用意された警護班専用事務所兼仮眠室だ。中は想像以上に広く、ファミリー向けマンションとしても十分に機能するだけの物が揃っている。
そしてもうひとつが邸内に用意されたセキュリティ・ルームを含む管理室である。この二つのフロアはセキュリティ・ルームの中ドアで繋がっており、常時人が出入りを繰り返している。
戸崎家の三兄弟が日常の半分を過ごしているのはこの管理室のリビングであり、未だ登場してはいないが、トレーニング・ルームや小さいながらも室内プールなどがある。
因みに、警護班が使用しているバス・ルームとは別に広いジャグジー・ルームがあって、二男と三男はそこで入浴を済ませる事が多い。ただし、長男はプライベート・ルーム以外での入浴を禁止されているので、弟たちの世話をする以外でこのジャグジー・ルームを訪れる事はない。

そして、三兄弟の為のプライベート・ルーム。正確に言えば、椿邸とはこのプライベート・ルームを指し、広さもかなりのものだ。
勿論、管理室とは別にキッチンやリビングダイニングを持ち、ウォーク・イン・クローゼットが二か所、椿の書斎と寝室、三兄弟それぞれの個室、未使用の二部屋、個室はすべてシャワー・ルーム付き。それ以外にバス・ルームが二か所、トイレが三か所、シアター・ルーム、カウンター・バー付き娯楽室。サン・ルーム。資料室。
そして武器庫。因みにこの武器庫はきちんと国の許可を得たものである。中に置かれているモノは別にして…の話だが。

とにかく、椿匡雅の財力を見せつけるかのようなこの邸の造りは、絢爛豪華…華美ではないものの、やはりそんな言葉がしっくり来る。と、思う…。

「はぁ…どうしよう…。」

十畳ほどあるウォーク・イン・クローゼットの床に座り込み、この邸に尤も相応しく、けれどそれを自覚出来ない麗しの長兄こと戸崎鷹久は、人さまには見せられないほど情けない貌(かお)で盛大な溜息を吐いた。
壁一面の鏡に視線を向ければ、長い睫毛の影が目の下にクマを作っている。こんな顔、弟たちには見せられないと思うのだが、今の憂鬱はどうする事も出来ない。
空っぽのウォーク・イン・クローゼット。
いや、正確に言えば三個の段ボール箱がある。ここへ越して来て一週間が過ぎたが、未だ手付かずの着替え。と、言うより、手を付けるだけの物がないのだ。実際の話。
その日暮らし。貧乏のどん底からここへ来た三兄弟に、このだだっ広いクローゼットを埋めるだけの物があるはずもない。
「どうしよう…。」

『必要な物は何でも遠野に言え。』

椿にはそう言われたが、その『必要な物』に自分たちの着替えなんて入れていいのか?
鷹久が抱き締めている真新しいパジャマは、ここへ来る前にいた病院で手に入れた物だ。三兄弟は椿に拾われた後、一カ月近く入院していたのだ。大病院の特別室に。その時、必要だろうとパジャマを買ってくれたのが野田あづみ。鷹久と椿を出逢わせた張本人だ。
元々椿はあづみのパトロンだった、らしい。詳しい事は鷹久もよく知らない。ただ、このあづみのお陰で三兄弟は生き延びる事が出来たと言っても過言ではない。あづみは今も一週間に一度は連絡をくれる。姐御肌で気は強いが、とても優しい面倒見の良い女性だ。パジャマの事にしても『病院のでいい』と言ったにも関わらず態々三兄弟分を揃えてくれたのだ。しかも、これからも必要でしょう?、と着替え用に三着ずつ。それ以外でも随分とよくしてもらっている。

電話で相談してみようか。

そうは思うが、たかが着替えをどうしたらいいか、なんて相談をされても、あづみは迷惑だろうし、携帯代がもったいない気がする。勿論、携帯代も椿の支払いだが。だからこそ躊躇いがある。
しかし…しかし、だ。
「今の洗濯機って、こんなに凄いんだ…。」
確かに着古しばかりだったが…。
「まさか、大半が着られなくなるなんて…。うそだろ。」

この日の夕方。初めて使ったドラム式とやらの乾燥機付き洗濯機。弟たちの風呂の世話をする前に片付けようと思い立ったのが悪かったのか。なんと、中に入れた洗濯物がボロボロになっていたのだ。
暫く放心状態のままだったが、なんとかクローゼットまで持って来た。が、これは…もう…縫って誤魔化せる状態ではない。
しかも、恐る恐る段ボール箱の中を見れば案の定、数枚の着替えしか残ってない。
正直言って、服の事にまで気が回る生活状態ではなかったのだ。今まで。
「どうしよう…。」
考えてみれば、自由になるお金なんてある筈もない。
突然、食と住が満たされたものだから、そんな金銭の必要性まで考えてなかった。

『困った事があったら遠慮なく電話しろ。』

誰もがヨダレを垂らして欲しがる椿の携帯のプライベート・ナンバー。
短縮03で繋がる事は解ってる。
でも。

「遠野さんとか…おさがりくれないかな…。」
相談してみようかな…。


実はこの時。
鷹久は自分が椿の愛人になった事などまるで知らなかった。
いや、気付いていなかった、と言った方が正しい。
何しろ、キスひとつした事がない。あれよあれよという間に、今に至ってしまった。
勿論、鷹久は椿の事が好きだったのだが。それは一目惚れで、未だ言葉にした事はない。ある意味、身分違いも甚だしいだろう。その上、自分は男だし。そんな事が頭を過る度、諦めるのが当たり前だと思ってしまったのだ。
大体にして、鷹久は大きな勘違いをしていた。
あづみが椿にすべて頼んでくれたのだと思い込んでいた。

だから思っていたのだ。
つまらない事でお金を使わせるなんてとんでもない。

自分たち兄弟は居候なんだから、と。
浅黒い頬にミルク色の頬を擦り寄せて、殺傷能力100%の生き物が目をくりくりさせている。
足元で低く唸っているのは忠実なる純白の番犬で、ソファで寝そべっているのは我が道をゆく純白の番猫(笑)で。
ふと、海斗が視線を向けると、遠野がヤレヤレと溜息を噛み殺し。
背後のカウンターでは、折角淹れたコーヒーが冷めてしまうと伊達が苦笑し。
黒い世界の片隅で、海斗は『よろしくね。』と差し出した自分の手のやり場に困り果てている。

「久にぃ。さわってもだいじょーぶかな?」
「うーん。バイ菌まんじゃないからな…。大丈夫だと思うけど。」
「こわくない?」
「多分…噛み付いたりはしないだろ。」
「さわってもいいか、にぃちゃにきかなくてだいじょーぶ?」
「あー。聞いた方がいいかも。兄貴ってば神経質だからな。」

ちょっと待て。そこの兄弟。
何、その会話。俺の扱いって酷くネ?

行き場を失った海斗の手と困惑する顔を交互に眺めながら、久秋と秋典は頬をくっ付けたままコソコソと会話している…つもりらしい。海斗に会話が筒抜けなのでコソコソ話にはなっていないが、取り敢えず現在の海斗は不審者扱いである事に変わりない。
挙句。

「シロさん。あき、にぃちゃ来てから『はじめまして』していい?」
「ええ。勿論です。」

おいおい。紫朗さんまで何言うの…。

遠野の一言にとどめを刺され、がっくりと項垂れる海斗である。
な、ななな、なんだなんだなんだっ。
何っ、この超癒し系小動物は、何だっ!!
人間か。人間なのか。
何だっ、この殺傷能力100%の愛くるしさはっ!!

「海斗…落ち着け。」
無言のままパニクる海斗を憐れんだのか、遠野がそっとその耳元で囁いた。
放っておいたら本当に天国まで逝きそうな取り乱しっぷりだ。それほど海斗はパニクっていた。
周りに人がいなければ、絨毯の上を転げ回り、殴りまくり、のた打ち回りたいほどだ。
心臓がバクバクいって、頬に熱が溜まって来るのが自分でもよく解る。口元を覆った手が震え、目の奥が痛い。

あの美男美女に突っ込みまくりの椿をして『極上天使』と言わしめたのは、この激烈に愛くるしい癒し系小動物だったのか…。
海斗は思わず喉の奥で唸ってみる。
久秋の腕の中、じぃっと海斗を観察している瞳の愛らしさにクラリと来た。
俺、そっちの趣味無い…。そう思っても、この小動物から目が離れない。可愛過ぎる。どうしよう。

「久にぃ…あの人、どうしたの。」
硬直してしまった海斗を訝しんだのか、秋典が愛らしい声で久秋の耳元に囁いた。大抵の人間が同じ反応をするのだが、その度に秋典は同じ事を聞く。理解できない事は気にかかる性質なのだ。
しかし、それにしても海斗は過剰反応し過ぎだ。
「んー、ねぇ、紫朗さん。この人ヤバくね?」
久秋もなんとなーく不安になって来た。
「はぁ…いえ、そっち方面の趣味はありませんので…。」
そう言いつつ、遠野も頬を引き攣らせる。海斗に性癖の方向転換なんてされては大変な事になるのだ。この部屋で血の雨なんて降らせたくはない。
秋典はきゅうっと久秋の首に抱きついて、結局事の成り行きを観察している。好奇心旺盛なお子様なのだ。

一方、海斗はまだパニクっていた。視線の先には殺傷能力100%の愛くるしい顔がある。
これが、極上天使…。確かに、天使だ。だが、小悪魔的な可愛らしさもある。
ミルク色の肌は意外と健康的だが、瑞々しい水桃蜜(すいみつ)のような頬にはやはり赤味がない。漆黒の髪はふわふわで、きっと触れたら羽毛のような手触りだろう。
大きな瞳も漆黒で、これは兄弟共通なのかもしれない。くっきりとした二重に長い睫毛。その睫毛に縁取られた眼元はまるでアイ・ラインを引いたようだ。目尻は少しつり上がっているが、久秋のようなキツさは感じられない。小さな鼻も、蜜を滴らせたような唇も。顔のパーツのすべてが絶妙で、綺麗だ。

「海斗…そろそろ正気に戻れ。」
遠野に肩を軽く揺らされ、やっと海斗は現実の世界に戻って来た。
心臓に悪い。この兄弟は。
「す…すみませ…ん。」
やっとの思いで視線を下に外せば、足元で白尾が睨んでいる。完全に不審者扱いだ。
「ご…ごめんね…。」
白尾に謝ってどうする、自分。
心で自分自身に突っ込みを入れ、大きく深呼吸すると、海斗はやっと視線を秋典に戻した。
しっかりと兄に抱きつく小さな身体は、やはり14歳には見えない。
部屋着なのだろうか。細い身体を包む膝丈まである黒いセーターの胸元には小さな白いバラが編み込まれていて、足首まである黒のレギンスの踝辺りにも白いバラがワンポイントで刺繍されている。
そう言えば、久秋の身体からもバラの香りがしていたな…。庭にバラがあったので気にも留めなかったが、何か理由があるのだろうか。
ふと、そんな事を思いながら、海斗はやっと落ち着きを取り戻したように微笑んだ。

「はじめまして、秋典さん。東城海斗です。」


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