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2007.12。公開開始。 このブログは み羽き しろ の執筆活動の場となっております。 なお、ブログ中の掲載物につきましては「無断転載・無断使用を禁止」させていただきます。
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「コーヒーでよろしいですか?」

背後から聴こえた伊達の声に、物思いに沈みかけた海斗はビクリと肩を震わせた。
異質な黒い世界にいる事で、精神が落ち着かない。気を抜くと足元から闇に引き摺り込まれてゆく錯覚に陥る。
ここで、本当に三兄弟は暮らしているのか。
末っ子への影響を考えたらマズくないのか。
色々と考えを巡らして、けれど結局答えは出ない。
ただ、フと遠野を見上げると、酷く穏やかな眼差しで久秋の背を見詰めている。
もしかして死んだ弟を思い出しているのだろうか。
海斗は会った事などないが、遠野が海斗を拾った理由が弟の死である事は、遠野の周辺では有名な話だ。
「ああ。海斗もコーヒーでいいのか。」
「あ、はい。」
自殺した弟を、今でも遠野は愛している。
もう10年も過ぎてしまったが、一生心の傷として遠野の中に残るのだろう。

遠野の背を飾る炎の昇り龍は、天を睨んで嘆き悲しんでいる。
届かぬ手を必死に伸ばし、二度と戻らぬ命を嘆いて慟哭しているのだ。
弟の死後彫られたせいで、どんなに勇ましい龍を彫ろうとしても、どうしても嘆き悲しむ姿になってしまうのだと、一流の彫り師が頭を抱えたと言われている。
何度か海斗も見ているが、痛々しいほどに美しい炎の龍は、遠野の心を映し出しているようで長くは見ていられない。
雲を掻き分け失われた命に近づこうと天に昇らんとする龍のあまりの痛々しさに、後に天才彫り師がその龍の手に蓮の花を彫り足したほどだ。
そうしてやっと、龍は落ち着いた。手に握りしめた美しい蓮の花に、愛おしい命の息吹きを感じ取ったのだろう。
それでも、決して癒えない傷は残った。
遠野の心に。

「砂糖とミルクは?」
「いや、私も海斗もブラックだ。」
伊達の声に遠野が答える。
ミニ・バーの奥からコーヒー豆を挽く良い匂いがする。
ここには椿の意向で何もかも一流の物が揃えられていると遠野が言っていたが、家政婦や料理人を置かないのはやはり愛人の為なのだろう。
海斗を同居人として選んだのも、椿の意向だと聞いた。

海斗は純粋なゲイだ。
遠野に拾われてからは誰とも性交を持っていないが、完全なウケなのだ。
だから椿も安心して愛人の傍に置けると判断したのだろう。

『わふっ。』と白尾の鳴き声がした。
どうやら末っ子のお出ましらしい。
ゆっくりと立ちあがった久秋の左腕に、子供がしっかりと抱き締められている。

「お待たせ。」
久秋の声に、しかし海斗は硬直したまま動けない。
「海斗。三男の秋典さんだ。」
遠野の言葉に、頷く事すら忘れてしまった。
思わず口元を手の平で覆うと、海斗は雄叫びを呑み込んだ。

海斗の目の前に、激烈に愛くるしい生き物がいた。
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ここは、まるで海の底だ…。
ならば、この少年は海神か。
16歳だというが、とてもそうは見えない。落ち着き払った態度といい、物腰といい、口調といい。
海斗は椿の少年時代を想像してみた。きっと久秋と重なり合う部分が多いだろう。
勿論、海斗は椿の少年時代など知らないが。
言ってしまえば、久秋は極道向きの男なのだ。
多分、その事を周囲の男たちも、本人も知っている。
ただ、誰も言わないのだろう。

言葉にすれば、運命は動く。
本人の意思に拘る事無く。
それは、避けねばならない。
極道に、明日の約束はないからだ。
その世界に、他人の言葉で、思惑で、久秋を喰わせる訳にはいかない。
何より、椿がそんな事を許すまい。
たった今、久秋に会ったばかりの海斗ですら、惜しいとは思うが。

海斗の視線の先。
黒い世界に佇む少年は、闇の帝王と本当によく似ていた。

「ところで、鷹久さんは。」
遠野の声に、海斗は我に返った。
この部屋は、異質だ。気付けば物思いに囚われる。
「ああ、風呂の準備。秋の着替えを取りに。いつ紫朗さんが来るかって、秋、待ってるって動かなくて。ほんとはもう寝てる時間だし。」
「それは、申し訳ない事をしてしまいましたね。で、その秋典さんは。」
「ん? 雀のかくれんぼ。」
「…なるほど。」
久秋の言葉に、遠野が笑う。
二人の視線の先には漆黒のスポーツ・カーだ。
海斗が目を凝らすと、何やら中で蠢いていた。

『どんなに上手に隠れても、かわいいオツムが見えてるよ。』

ああ、車の中に隠れてこちらを見ていたのか。
光の反射でよく見えないが、確かに人影がある。
「ちょっと待ってて。」
久秋はそう言うと、ゆったりとした足取りで車に近づいた。
指先でコンコンとウィンドーを叩く。
と、カチャ…と音がしてドアが開き、真っ白い塊が二つ、転がるように飛び出して来た。
「へ?」
海斗が妙な声を出すと、遠野が、ああ、忘れていた。と苦笑した。
「椿さんのペットだ。アフガン・ハウンドの『白尾(ハクビ)』とメイン・クーンの『太郎』。白尾はその名の通りアルビノだ。」
「アルビノ…。」
確かに、これほど白いアフガン・ハウンドなど海斗は見た事がない。
海斗を警戒しているのか、白尾は顔だけを海斗に向けて、体で壁を作るように久秋の背に立っている。
「鷹久さんが、いつも『弟たちを守ってね』と言うものだから、白尾は知らない人間が来ると二人から離れないんだ。ヘタに近づくなよ。襲いかかって来るから。太郎はマイ・ペースだな。」
苦笑する遠野の視線の先、緊張する白尾とは逆に太郎はすっかりソファで寛いでいる。

久秋は、自分の肩幅程度に開いたドアの前に膝をついて、何やら話をしているようだ。
人見知りが激しいのだろうか。秋典はなかなか出て来ない。
すべてが黒いリビングを彩る満天の星空。
唖然と見まわす海斗の視線の片隅で、大きな影がゆらりと動いた。
その瞬間。パッ、と、蒼い照明に切り替わり、星空は消えた。
あの不可思議な音だけは聴こえ続けていたけれど。

「ただ今戻りました。」
「おかえりなさい、紫朗さん。」
リビングの奥から声がする。
その声のする方に視線を向け、再び海斗は遠野の背中に寄り掛かる。

「な…なんでリビングにスポーツ・カー…。」

椿邸の広いリビングには、インテリアとして漆黒の車が飾られていた。勿論本物だ。
普通、グランド・ピアノとかじゃないのか…? ここ、超高層マンションの最上階だろう…。ぐったりと項垂れた海斗は盛大な溜息を喉の奥で噛み殺す。
だが、広さの割には物が少ない。目立った収納家具もなく、全体的にスッキリとしている。

扉から見て右側には6席の椅子が付いたカウンターがあり、見る限りはミニ・バーとなっている。その奥はコの字型のオール電化キッチンとなっており、リビング側からは中が見えない作りだ。
扉の正面の壁は一面ガラス張り。勿論防弾ガラスだろう。遠くにオフィス街にある高層ビルの明かりが散らばっている。
扉と扉の間にある壁にはスクリーンのような薄型テレビが掛けられており、室内のほぼ中央にL字型の7人掛けソファが大きなガラス・テーブルを挟むように2つ置かれている。すべて特注だろう。
インテリア代わりの車は奥の扉に向かって斜めに置かれており、その奥の壁にドアが一つ。掃除機などを置く物置のようなスペースらしい。
ダイニング・テーブルなどは見当たらないから、キッチンに置かれているのか、或いはカウンターを利用しているのか。それとも、食事などはプライベート空間で済ませているのか。この段階では海斗に解るはずもない。

よく見ると、車とソファの間にある広い空間に、大小様々なクッションが散らばっていて、その中に、カプセル型の家庭用プラネタリウムがポツンと置かれていた。
空間すべてが黒いので、目が慣れても何が置かれているのか認識するまでに時間が必要だった。

「その人が、俺たちと同居してくれる人?」
少し掠れたテノールが、リビングの奥から聴こえて来る。
車のボンネットに座っていた長身の男に、ふと、海斗は視線を止めた。
黒い空間に溶け込む人影が、ゆっくりと動いて海斗の目の前に立つ。
海斗は、思わず見惚れてしまった。
脚…長げーっ。

「ええ。今夜からでも同居させるつもりです。名前は東城海斗。」
「思っていたより若いね。」
「五月には28歳になりますよ。童顔なんです。」
「え、ほんと?」
「はい。海斗、二男の久秋さんだ。」
遠野の声に、海斗はビクリと肩を震わせた。
それまでの二人の会話も殆ど耳に入ってない。
「…え…あ…。」
「?」
「東城…海斗です。」
「うん。今聞いた。よろしく。」
「よ…よろしく。」

海斗の目の前に立つ戸崎久秋は、頗るイイ男だった。イケメンなんて軽い言葉では言い表せないような、飛び切りの男前。
浅黒い肌。彫りの深い顔立ち。髪も瞳も漆黒で、くっきりとした二重の眼元は、目尻がキリリとつり上がっている。そうとう気が強そうだ。
身長は伊達とそう変わらないだろう。ただ、細身だ。肩幅はあるが、身体全体に厚みがない。
黒い革のパンツに、黒い長袖のTシャツ。綺麗な鎖骨にブルー・カメオを結んだ革紐がゆれる。
椿の弟だと言ったら、誰もが信じるだろう。

椿と久秋は、雰囲気がとてもよく似ていた。
椿邸の土間を含む玄関ホールは広かった。
一般家庭のリビングがすっぽり入ってしまうほどの広さだろう。黒くて、艶のある土間から続く僅かな段差のある玄関フロアもまた真っ黒で、海斗は上下の感覚を失いそうになる。
「どうぞ。」
伊達に勧められ、真っ黒なスリッパに履き替えると遠野の後に続く。広い廊下の床は毛足の長い絨毯が敷き詰められており、その毛足の密集具合いから最高級の日本製であると海斗は確信した。大の男が乗っても、絨毯は僅かな窪みすら残さない。
高い天井を見上げると、埋め込み型の蒼い照明。
「まるで海の底だな…。」
海斗がポツリと呟くと、遠野が意味深な笑みを浮かべ、伊達は苦く笑った。

長い廊下の左側にドアが三つ並んでいる。
セキュリティ・ルームとトイレとバス・ルーム。
この三つは主に警護班が利用しているらしい。廊下の奥には分厚いドアがあり、その向こう側が三兄弟のプライベート・ルームなのだと伊達が説明してくれた。因みに、この分厚いドアは手榴弾を投げ込まれてもビクともしないそうだ。
リビングは、このドアの手前にある。廊下の右側だ。出入り口は二か所。どちらも左右開きの扉で、奥の扉は分厚いドアの間近に作られていた。

さっきから、妙な音がする。
音楽のような。鳴き声のような。
なんだろう。
頻りに首を傾げる海斗に気付いても、遠野からの説明はない。
何やら愉しんでいる雰囲気さえある。
「海斗。」
「はい?」
「何を見ても、何が起こっても、決して大声を出すな。いいな?」
「あ、はい。」
どうやら、このリビングには大きな秘密があるらしい。

コンコン。

伊達のノックと共に玄関に近い扉が開く。
途端、あの妙な音がハッキリと聴こえて来た。

「…え…?」

驚きに見開かれた海斗の視線の先。
広いリビングはプラネタリウムと化していた…。
幽かな振動もなく最上階に着いたエレベーターは、クンッ、と乾いた音を立てて止まり、そのドアは何事も起こらないような顔で左右に開いた。が、そこにもまたドアがある。警備上の問題なのだとは思うが、あまりにも神経質過ぎると海斗は思う。
しかし。中ドアがやはり何事もなく左右に開くと、海斗はあんぐりと口を開け、どっと疲れたように遠野の背に手の平を押しあて寄り掛かった。
門…だ。
しかも、高い天井に限りなく近い、聳え立つ門。
その上。

「に…庭…。」

確かに庭だ。
門の内側。決して華美ではないが可愛らしい庭が存在している。
咲いているのは白いバラ。蒼いバラ。
天井から優しく降り注ぐ光は、今流行りの青色発光ダイオード…。
いや。そんな事はどうでもいい。
さっきから海斗が気になるのはそんなものではない。
この空間の、意外な黒さ、だ。
名義は椿らしいが、ここに暮らしているのは18歳を長男とする16歳と14歳の子供たちだ。しかも、その内の一人は保育園児と言ってもいい。
なのに…。
庭の色を除けば、全てが黒い。
暗いのではなく、黒い、のだ。

「お疲れ様です。」
門の内側にいた直立不動の男・伊達が遠野と海斗に深く頭を下げた。
と、同時に門が開く。コンピュータ制御のこの門は、邸内からしか開けられないのだ。
遠野と海斗が二人の護衛と共に中に入ると、背後で音もなく門が閉まる。これだけ大きな門が無音で動くと、少し不気味だ。
そのまま遠野の一歩後ろを歩きながら海斗が奥に視線を向けると、黒い壁に黒い重厚な扉があった。そこから少し離れた場所に、やはり黒くて重々しいドアがある。このドアの奥は事務所になっており、常時4、5人が詰めている。更に三兄弟の居住空間に4人。少数精鋭で纏められた警護は厳重だ。人数ではない。超高層ビルの最上階とも言えるこの場所に、本来ならばこれだけの警備は必要ないのだ。
だが、椿は三兄弟の為に、否、彼の愛人の為にこれだけの警備態勢をとっている。
それだけの価値がある、という事だろう。

「皆さんは?」
「つつがなく過ごしておられました。」
「秋典さんは?」
「今日はたっぷりとお昼寝されたので、ご機嫌はよろしいようで。」
「そうか。」
「待っておられましたよ。」
「ん?」
「今日はお客様が来ると鷹久さんが仰ったものだから、秋典さん、首を長くしてお待ちでした。」
「そうか。遅くなって悪い事をしたな。ああ、伊達。海斗だ。」

すべての生活が、秋典という少年を中心に動いている。
遠野と伊達の会話からもそれが感じ取れる。
遠野に名を呼ばれて海斗がペコリと頭を下げると、伊達は穏やかに笑った。とても極道とは思えない。ごく普通のサラリーマンのようだ。身長は海斗より少し高いくらいだから、多分180センチ前後だろう。190センチある遠野と比べると小柄に見えるが、上質なスーツの上からでも鍛えられているのがよく解る。

「伊達悠輔です。」
「東城海斗です。」
「後ほどキーを作る為の指紋をとらせて頂きますので。それと暗証番号を考えておいてください。」
「え…?」
「海斗さんは鷹久さんたちと同居されると聞いています。鍵がないと不便でしょうから。ここはセキュリティの関係でダブルロックシステムを採用しています。その為に指紋が必要なんです。後でゆっくり説明しますね。」
「あ、ありがとうございます。」

低くよく通る伊達の声を聞きながら、海斗はもう逃げられないのだと腹を括る。
尤も、遠野に呼ばれた時点で海斗には逃げ道などなかったのだが。

「では、どうぞ。」
伊達の声と共に重厚な扉がゆっくり開く。
「え…。」
海斗の視線の先に広がった扉の向こう側もまた、真っ黒い空間だった。

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