2007.12。公開開始。
このブログは み羽き しろ の執筆活動の場となっております。
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複雑な表情を浮かべた遠野と海斗を乗せたエレベーターは、護衛である二人の男と共に静かに最上階へと向かっていた。
だが。正直、海斗は組事務所に帰りたい。
車内で最後に聞いた遠野の話があまりに衝撃的過ぎたのだ。
「サヴァン症候群という病気を知っているか?」
「サヴァン…確か、自閉症の患者さんの中に時折存在する…。」
「そうだ。別名『天才病』とも言う。ひとつの事に突出した才能を発揮する脳の病気だ。」
(注:サヴァン症候群は病気ではありません。病気というのはあくまで遠野個人の主観です。また、全てのサヴァン症候群の方が自閉症とは限りません。)
例えば分厚い電話帳に書かれている全てを丸ごと記憶してしまったり。
一度見ただけの風景や建築物を正確に描いてみたり。
「三兄弟の場合は自閉症ではない。だが、サヴァン症候群の兆候がみられる。恐ろしいほど記憶力が良いんだ。」
「そんな事って…あるんですか?」
「解らん。サヴァンの場合はひとつの事に突出するが、三兄弟は記憶力という点で突出している。見たもの、聞いたものを正確に、ほぼ完ぺきに覚えてしまうようだ。ある時…。」
まだ、三兄弟と出逢ったばかりの頃。三人の前で椿がアラブ系の友人と電話で話をしていた事があった。その会話を、末っ子の秋典が丸ごと記憶してしまったらしく、数日後、椿の前でその時のアラビア語を見事に発音して意味を聞いて来たのだ。
その場にいた誰もが絶句した。
しかも。
「三人が三人共見事に発音してくれた。それで、研究者を呼んで簡単なテスト検査をしてみたんだ。」
「それでサヴァン症候群だと?」
「正確には違うだろう。ただ、それに近いものらしい、としか解らない。」
凄まじい記憶力を持つ兄弟…。
でも、それだと。
「待ってください。でも、末っ子は…確か精神的には保育園児だと…。」
「そうだ。しかし海斗。記憶と精神は近くて遠い。同じではないよ。秋典さんは、やる事なす事保育園児だが記憶力が良い。ただそれだけの事だ。」
「それだけって…。これから三人の天才児を相手に、衣食住(多分そうなるだろう)生活を共にする俺の身にもなってください。」
「お前なら大丈夫だ。」
「何がです。」
「三兄弟はとても性格が良い。誰からも好かれるタイプだ。お前もきっと気に入るし、彼らもお前を気に入るだろう。」
「そんな安易な事を…。」
「ふふ。それで、だ。」
「…。」
「最後の注意だが。」
三人はとても特殊な環境で生活している。
それに慣れてくれ。
「特殊…。」
「行けば解る。」
帰りたい…。
海斗は切実に思った。
三人の天才児。
しかも、その長男は絶世の美貌を誇り、あの椿の愛人だという。
「俺に…どうしろって言うんですか…。」
エレベーターに乗り込む際、ぼそりと呟いた海斗の声を、遠野はあっさり無視して最上階へ向かった。
だが。正直、海斗は組事務所に帰りたい。
車内で最後に聞いた遠野の話があまりに衝撃的過ぎたのだ。
「サヴァン症候群という病気を知っているか?」
「サヴァン…確か、自閉症の患者さんの中に時折存在する…。」
「そうだ。別名『天才病』とも言う。ひとつの事に突出した才能を発揮する脳の病気だ。」
(注:サヴァン症候群は病気ではありません。病気というのはあくまで遠野個人の主観です。また、全てのサヴァン症候群の方が自閉症とは限りません。)
例えば分厚い電話帳に書かれている全てを丸ごと記憶してしまったり。
一度見ただけの風景や建築物を正確に描いてみたり。
「三兄弟の場合は自閉症ではない。だが、サヴァン症候群の兆候がみられる。恐ろしいほど記憶力が良いんだ。」
「そんな事って…あるんですか?」
「解らん。サヴァンの場合はひとつの事に突出するが、三兄弟は記憶力という点で突出している。見たもの、聞いたものを正確に、ほぼ完ぺきに覚えてしまうようだ。ある時…。」
まだ、三兄弟と出逢ったばかりの頃。三人の前で椿がアラブ系の友人と電話で話をしていた事があった。その会話を、末っ子の秋典が丸ごと記憶してしまったらしく、数日後、椿の前でその時のアラビア語を見事に発音して意味を聞いて来たのだ。
その場にいた誰もが絶句した。
しかも。
「三人が三人共見事に発音してくれた。それで、研究者を呼んで簡単なテスト検査をしてみたんだ。」
「それでサヴァン症候群だと?」
「正確には違うだろう。ただ、それに近いものらしい、としか解らない。」
凄まじい記憶力を持つ兄弟…。
でも、それだと。
「待ってください。でも、末っ子は…確か精神的には保育園児だと…。」
「そうだ。しかし海斗。記憶と精神は近くて遠い。同じではないよ。秋典さんは、やる事なす事保育園児だが記憶力が良い。ただそれだけの事だ。」
「それだけって…。これから三人の天才児を相手に、衣食住(多分そうなるだろう)生活を共にする俺の身にもなってください。」
「お前なら大丈夫だ。」
「何がです。」
「三兄弟はとても性格が良い。誰からも好かれるタイプだ。お前もきっと気に入るし、彼らもお前を気に入るだろう。」
「そんな安易な事を…。」
「ふふ。それで、だ。」
「…。」
「最後の注意だが。」
三人はとても特殊な環境で生活している。
それに慣れてくれ。
「特殊…。」
「行けば解る。」
帰りたい…。
海斗は切実に思った。
三人の天才児。
しかも、その長男は絶世の美貌を誇り、あの椿の愛人だという。
「俺に…どうしろって言うんですか…。」
エレベーターに乗り込む際、ぼそりと呟いた海斗の声を、遠野はあっさり無視して最上階へ向かった。
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東城海斗(トウジョウ カイト)が兄とも慕う遠野紫朗(トウノ シロウ)と共にそのマンションを訪れたのは、まだ寒さの残る二月の初めだった。
海斗は調理師免許と栄養士の資格を持ち、遠野が五年前から帝都に構えている組事務所で若い衆の世話を一手に引き受けていたのだが、突然、その任を解かれて連れて行かれたのが界桜タワー・帝都レジデンス最上階にある椿匡雅の所有する大邸宅であった。
「注意するのは三つ。」
遠野と海斗を乗せた黒塗りのベンツが地下駐車場に入る頃、唐突に遠野が話を始めた。妙な先入観を持たせない為に、話すタイミングを計っていたのだろう。
「あ、はい。」
「長男の鷹久さん、二男の久秋さんは、14歳になる末っ子の秋典さんを中心に生活している。だから、前以って知らされるすべての予定は未定と思って時間には常に余裕をもっている事。」
「予定は未定…ですか。」
遠野の話に、海斗は幽かな違和感を感じ小首を傾げた。最初に聞いていた話は、三兄弟の食事の世話をして欲しい、という事だけだったからだ。
「そうだ。秋典さんは多くの病気を持っている為、予定通りに事は運ばないし、事情が事情だけにこちらの都合を押しつける訳にもいかないんだ。」
「病気?」
「難病だ。すぐに解ると思うが…治療法がない。現在14歳になるが、見た目は小学校一年生くらいだろう。成長がゆっくりとしている。と、同時に内蔵も未発達なんだ。体調の管理をしなくては、生死に拘る事態になりかねん。だが、椿さんをして『極上天使』と呼ぶほど愛くるしい顔立ちをしている。」
「極上天使…ですか。」
あの恐ろしい男が、どんな顔をしてそう呼んだのだろう。
口元を引き攣らせた海斗の様子に、遠野は苦笑する。
「ああ。まぁ、この三兄弟は…なんというか。」
会えばすべてが解るのだが。
「次に。秋典さんの前では、絶対大声を上げないでくれ。怒鳴ったり、ヒスを起こしたり。特に荒っぽい言葉遣いは絶対にダメだ。」
「…。」
極道相手に無茶な事を…。思わず天を仰いだ海斗だったが、考えてみれば海斗自身は極道ではない。気性もおおらかで、その穏やかな言動は子供には好かれ易いだろう。だから遠野は海斗を選んだのだ。
遠野の言葉の端々に、秋典という子供に対する繊細な心遣いが見て取れる。
「秋典さんは幼い頃、暴力事件に巻き込まれていて…まぁ、すぐに解る事だが…精神状態が少し未発達なんだ。」
「え…。」
「保育園児のまま、精神の成長が止まっている。だから言動が見た目の容姿より遥かに幼い。」
「つまり…14歳でありながら見た目は6、7歳で。その上、精神状態が3、4歳という事ですか?」
「そうだ。」
「それは…。」
何が食事の世話だ。これでは保父の真似事をさせられるようなものである。普通に世話をするにもかなりの覚悟がいりそうだ。
隣に座った遠野の横顔を見詰めたまま、海斗は溜息を噛み殺す。しかし、遠野の話はそれだけではなかった。
「実は、それだけじゃない。」
遠野の言葉に、海斗はガックリと項垂れる。これ以上何があるというのか。
「まだ、何かあるんですか?」
もう、矢でも鉄砲でも持って来い、だ。海斗の心境を知ってか知らずか、遠野は正面を見つめたまま苦笑する。
すでに二人が乗った車が駐車されて随分と経っていた。
「ああ。最後の注意に関連しているんだが…。」
「何です?」
「この三兄弟は…揃いも揃って天才児なんだ…。」
「はぁ?」
海斗の素っ頓狂な声に、遠野は苦く苦く笑った。
海斗は調理師免許と栄養士の資格を持ち、遠野が五年前から帝都に構えている組事務所で若い衆の世話を一手に引き受けていたのだが、突然、その任を解かれて連れて行かれたのが界桜タワー・帝都レジデンス最上階にある椿匡雅の所有する大邸宅であった。
「注意するのは三つ。」
遠野と海斗を乗せた黒塗りのベンツが地下駐車場に入る頃、唐突に遠野が話を始めた。妙な先入観を持たせない為に、話すタイミングを計っていたのだろう。
「あ、はい。」
「長男の鷹久さん、二男の久秋さんは、14歳になる末っ子の秋典さんを中心に生活している。だから、前以って知らされるすべての予定は未定と思って時間には常に余裕をもっている事。」
「予定は未定…ですか。」
遠野の話に、海斗は幽かな違和感を感じ小首を傾げた。最初に聞いていた話は、三兄弟の食事の世話をして欲しい、という事だけだったからだ。
「そうだ。秋典さんは多くの病気を持っている為、予定通りに事は運ばないし、事情が事情だけにこちらの都合を押しつける訳にもいかないんだ。」
「病気?」
「難病だ。すぐに解ると思うが…治療法がない。現在14歳になるが、見た目は小学校一年生くらいだろう。成長がゆっくりとしている。と、同時に内蔵も未発達なんだ。体調の管理をしなくては、生死に拘る事態になりかねん。だが、椿さんをして『極上天使』と呼ぶほど愛くるしい顔立ちをしている。」
「極上天使…ですか。」
あの恐ろしい男が、どんな顔をしてそう呼んだのだろう。
口元を引き攣らせた海斗の様子に、遠野は苦笑する。
「ああ。まぁ、この三兄弟は…なんというか。」
会えばすべてが解るのだが。
「次に。秋典さんの前では、絶対大声を上げないでくれ。怒鳴ったり、ヒスを起こしたり。特に荒っぽい言葉遣いは絶対にダメだ。」
「…。」
極道相手に無茶な事を…。思わず天を仰いだ海斗だったが、考えてみれば海斗自身は極道ではない。気性もおおらかで、その穏やかな言動は子供には好かれ易いだろう。だから遠野は海斗を選んだのだ。
遠野の言葉の端々に、秋典という子供に対する繊細な心遣いが見て取れる。
「秋典さんは幼い頃、暴力事件に巻き込まれていて…まぁ、すぐに解る事だが…精神状態が少し未発達なんだ。」
「え…。」
「保育園児のまま、精神の成長が止まっている。だから言動が見た目の容姿より遥かに幼い。」
「つまり…14歳でありながら見た目は6、7歳で。その上、精神状態が3、4歳という事ですか?」
「そうだ。」
「それは…。」
何が食事の世話だ。これでは保父の真似事をさせられるようなものである。普通に世話をするにもかなりの覚悟がいりそうだ。
隣に座った遠野の横顔を見詰めたまま、海斗は溜息を噛み殺す。しかし、遠野の話はそれだけではなかった。
「実は、それだけじゃない。」
遠野の言葉に、海斗はガックリと項垂れる。これ以上何があるというのか。
「まだ、何かあるんですか?」
もう、矢でも鉄砲でも持って来い、だ。海斗の心境を知ってか知らずか、遠野は正面を見つめたまま苦笑する。
すでに二人が乗った車が駐車されて随分と経っていた。
「ああ。最後の注意に関連しているんだが…。」
「何です?」
「この三兄弟は…揃いも揃って天才児なんだ…。」
「はぁ?」
海斗の素っ頓狂な声に、遠野は苦く苦く笑った。
24時間眠らない街、帝都。
宝石箱をひっくり返したような煌びやかな街の中を縫うように走る高速道路。
不夜城と呼ぶには美しすぎる高層ビル群の、その一角を陣取る界桜グループ本社ビルの地下から飛び出したメルセデスは、黒塗りの護衛車を振り切る勢いで郊外へとひた走る。
メルセデス・ベンツ・SLR・マクラーレン・ロードスター。
国際A級ライセンスを持ち、車のコレクションを趣味のひとつとする翔一郎の愛車の中の一台だ。スウィング・ウィング・ドアの滑らかな動きに一目惚れして購入したものの、自ら運転するのはこの夜が初めてだ。
本当は、匡雅兄を隣に乗せるつもりだったのに…。
愛車のメタリックな輝きを夜の帳に散らばる星屑の一つに変えた翔一郎は、溜息まじりに右の助手席に視線を落とした。匡雅が乗るはずだったその場所には、今は見たくもない報告書が捨て置かれている。
----戸崎鷹久(トザキ タカヒサ)に関する身辺調査報告書----懇意にしている興信所から今朝届いたばかりの匡雅の愛人に関する報告書に、最初、翔一郎は眼を疑ったものだ。
あの匡雅兄が男を愛人として囲うなんて。何度読み返しても信じられないその報告書に、出社予定などなかった本社ビルで匡雅を捕まえたのが先ほどの事だ。
だが、普段から殺人的スケジュールで動いている匡雅をやっと捕まえたものの、彼にしては珍しく歯切れの悪い対応に、結局不快な思いをするハメになってしまった翔一郎である。
別に、匡雅が男の愛人を持ったところで翔一郎は構わない。何しろ匡雅はSEXをただの排泄行為と言い切り、要は突っ込めればそれでいいのだと男でも女でも相手にしてきた。勿論、相手はいずれも最高級ではあったが、それでも一時間20万の支払いで済ませるような関係がすべてだったのだ。
それが、愛人を『囲った』という。
しかも、SEXの相手には現金での支払い以外花一輪買い与えた事のない匡雅が、その愛人には超高層マンションの最上階フロアを丸ごと買い与えたという。本人の話では名義は匡雅になっているらしいが、そんな事実は大した事ではない。問題は匡雅が自分の居住空間に他人を住まわせた事。その上、信頼のおける部下を護衛としてつけた事。いずれもが今までの匡雅からは想像できない事なのだ。
「くそっ。」
本気だろうか。
匡雅に対して恋愛感情など持ち合わせてはいないが、それでも口惜しさが言葉となって迸る。
光と闇。
翔一郎と匡雅を知る者は皆、二人の関係をそう呼ぶ。
コインの表と裏だと。
そう呼ばれるように、生まれた時からそれぞれの道は決まっていた。
翔一郎は光の世界で君臨すべき存在で。
匡雅は闇の世界の覇者となるべき存在で。
けれど、誰よりも傍にいた二人だった。
親兄弟よりも、二人が共有していた時間は遥かに長いのだ。
それなのに。
「どうして隠すんだ…匡雅兄…。」
そんなに俺が信じられないのか?
角井や遠野は傍に置いているじゃないか?
誰より先に。
この俺に。
真っ先に紹介してくれてもいいじゃないか。
要は嫉妬なのだろう。
そんな事は解ってる。
「戸崎三兄弟…。」
魔性の男と、その弟たち。
「一体、どこで出逢ったんだ?」
宝石箱をひっくり返したような煌びやかな街の中を縫うように走る高速道路。
不夜城と呼ぶには美しすぎる高層ビル群の、その一角を陣取る界桜グループ本社ビルの地下から飛び出したメルセデスは、黒塗りの護衛車を振り切る勢いで郊外へとひた走る。
メルセデス・ベンツ・SLR・マクラーレン・ロードスター。
国際A級ライセンスを持ち、車のコレクションを趣味のひとつとする翔一郎の愛車の中の一台だ。スウィング・ウィング・ドアの滑らかな動きに一目惚れして購入したものの、自ら運転するのはこの夜が初めてだ。
本当は、匡雅兄を隣に乗せるつもりだったのに…。
愛車のメタリックな輝きを夜の帳に散らばる星屑の一つに変えた翔一郎は、溜息まじりに右の助手席に視線を落とした。匡雅が乗るはずだったその場所には、今は見たくもない報告書が捨て置かれている。
----戸崎鷹久(トザキ タカヒサ)に関する身辺調査報告書----懇意にしている興信所から今朝届いたばかりの匡雅の愛人に関する報告書に、最初、翔一郎は眼を疑ったものだ。
あの匡雅兄が男を愛人として囲うなんて。何度読み返しても信じられないその報告書に、出社予定などなかった本社ビルで匡雅を捕まえたのが先ほどの事だ。
だが、普段から殺人的スケジュールで動いている匡雅をやっと捕まえたものの、彼にしては珍しく歯切れの悪い対応に、結局不快な思いをするハメになってしまった翔一郎である。
別に、匡雅が男の愛人を持ったところで翔一郎は構わない。何しろ匡雅はSEXをただの排泄行為と言い切り、要は突っ込めればそれでいいのだと男でも女でも相手にしてきた。勿論、相手はいずれも最高級ではあったが、それでも一時間20万の支払いで済ませるような関係がすべてだったのだ。
それが、愛人を『囲った』という。
しかも、SEXの相手には現金での支払い以外花一輪買い与えた事のない匡雅が、その愛人には超高層マンションの最上階フロアを丸ごと買い与えたという。本人の話では名義は匡雅になっているらしいが、そんな事実は大した事ではない。問題は匡雅が自分の居住空間に他人を住まわせた事。その上、信頼のおける部下を護衛としてつけた事。いずれもが今までの匡雅からは想像できない事なのだ。
「くそっ。」
本気だろうか。
匡雅に対して恋愛感情など持ち合わせてはいないが、それでも口惜しさが言葉となって迸る。
光と闇。
翔一郎と匡雅を知る者は皆、二人の関係をそう呼ぶ。
コインの表と裏だと。
そう呼ばれるように、生まれた時からそれぞれの道は決まっていた。
翔一郎は光の世界で君臨すべき存在で。
匡雅は闇の世界の覇者となるべき存在で。
けれど、誰よりも傍にいた二人だった。
親兄弟よりも、二人が共有していた時間は遥かに長いのだ。
それなのに。
「どうして隠すんだ…匡雅兄…。」
そんなに俺が信じられないのか?
角井や遠野は傍に置いているじゃないか?
誰より先に。
この俺に。
真っ先に紹介してくれてもいいじゃないか。
要は嫉妬なのだろう。
そんな事は解ってる。
「戸崎三兄弟…。」
魔性の男と、その弟たち。
「一体、どこで出逢ったんだ?」
驚愕に見開かれた翔一郎の眼元が、フと、やわらかなカーブを描く。
なるほど、どうやらかなりの情報を得ているらしい。
尤も、匡雅の言動はそのまま日本という国すらも動かしてしまうのだから、隠密行動には限度がある。まして翔一郎の力を以てすれば、匡雅の周辺で起こる些細な出来事ですら一日と待たずに正確な情報として手に入るだろう。
「あのコじゃないよね?」
意味深な視線が匡雅の瞳を覗き込む。やはり、翔一郎が手にしている情報は正確なものなのだ。匡雅が囲ったのは、三兄弟なのだから。
ただし、愛人として匡雅が手元に置いているのは長男だ。だから、翔一郎の言う『あのコ』というのは末っ子の事だろう。
「ええ。」
隠しても、今更だ。無駄な事を匡雅は好まない。
「じゃ、あの魔性だ。」
益々翔一郎の笑みは深くなる。
「…。」
万人が平伏す美貌が艶然と笑う。
魔性というなら、この翔一郎とてその部類に入るだろう。
ただ、老若男女を問わず虜にしてしまう翔一郎と違い、男のみを虜にしてしまう彼は特殊な魔性と言える。
女は、本能的に彼を避ける。
避けねば、比べられるからだ。
自ら磨き上げた美を誇る女たちにとって、男である彼と見比べられるだけでも不快なのに、更に勝ち目がないとくればその存在は恐怖だろう。
そして、火に飛び込む蛾のように、男たちは本能で彼に惹かれてしまう。
匡雅が、そうであったように…。
「垂れ流しだよね。フェロモン。」
「…直接会ったんですか?」
「否。でも、写真からさえ溢れ出してた。あれは、本人に自覚がないだけにキツイね。」
「ええ。だから、周囲には信頼出来る者しか置いていません。」
「ふぅん。だから角井であり遠野なんだ。」
「…。」
「兄、ぞっこんだね。」
「どうでしょう…。ただ、他人(ひと)には渡したくないですね。」
「それを『ぞっこん』って言うんじゃないの? ああ、溺愛、か。」
言ってから、コロコロと翔一郎が笑う。匡雅には似合わない溺愛という言葉が、妙に笑いの壺を刺激したらしい。美しいが容赦のない笑みだ。
匡雅以外の人間には恐怖しか与えないだろう。
「お披露目は?」
「予定はありません。」
「隠せば益々危険だよ?」
「アレは堅気です。しかも子供だ。」
「匡雅兄の愛人に、そんな常識を当て嵌めるのは無理があるよ。」
「まだ、愛人にはしていませんが。」
「兄…らしくない。」
「…。」
「護ってあげるよ? その価値さえ認めれば。」
「…考えておきましょう。」
「うん。アレは、匡雅兄の命取りにもなり兼ねない。大事なら、早くね。」
「…。」
意味深な視線がじっくりと琥珀の瞳を覗き込む。
深い翠の視線は、それだけで見る者の心を鷲掴みにする。
「待ってるよ。」
その一言で、翔一郎は踵を返した。
なるほど、どうやらかなりの情報を得ているらしい。
尤も、匡雅の言動はそのまま日本という国すらも動かしてしまうのだから、隠密行動には限度がある。まして翔一郎の力を以てすれば、匡雅の周辺で起こる些細な出来事ですら一日と待たずに正確な情報として手に入るだろう。
「あのコじゃないよね?」
意味深な視線が匡雅の瞳を覗き込む。やはり、翔一郎が手にしている情報は正確なものなのだ。匡雅が囲ったのは、三兄弟なのだから。
ただし、愛人として匡雅が手元に置いているのは長男だ。だから、翔一郎の言う『あのコ』というのは末っ子の事だろう。
「ええ。」
隠しても、今更だ。無駄な事を匡雅は好まない。
「じゃ、あの魔性だ。」
益々翔一郎の笑みは深くなる。
「…。」
万人が平伏す美貌が艶然と笑う。
魔性というなら、この翔一郎とてその部類に入るだろう。
ただ、老若男女を問わず虜にしてしまう翔一郎と違い、男のみを虜にしてしまう彼は特殊な魔性と言える。
女は、本能的に彼を避ける。
避けねば、比べられるからだ。
自ら磨き上げた美を誇る女たちにとって、男である彼と見比べられるだけでも不快なのに、更に勝ち目がないとくればその存在は恐怖だろう。
そして、火に飛び込む蛾のように、男たちは本能で彼に惹かれてしまう。
匡雅が、そうであったように…。
「垂れ流しだよね。フェロモン。」
「…直接会ったんですか?」
「否。でも、写真からさえ溢れ出してた。あれは、本人に自覚がないだけにキツイね。」
「ええ。だから、周囲には信頼出来る者しか置いていません。」
「ふぅん。だから角井であり遠野なんだ。」
「…。」
「兄、ぞっこんだね。」
「どうでしょう…。ただ、他人(ひと)には渡したくないですね。」
「それを『ぞっこん』って言うんじゃないの? ああ、溺愛、か。」
言ってから、コロコロと翔一郎が笑う。匡雅には似合わない溺愛という言葉が、妙に笑いの壺を刺激したらしい。美しいが容赦のない笑みだ。
匡雅以外の人間には恐怖しか与えないだろう。
「お披露目は?」
「予定はありません。」
「隠せば益々危険だよ?」
「アレは堅気です。しかも子供だ。」
「匡雅兄の愛人に、そんな常識を当て嵌めるのは無理があるよ。」
「まだ、愛人にはしていませんが。」
「兄…らしくない。」
「…。」
「護ってあげるよ? その価値さえ認めれば。」
「…考えておきましょう。」
「うん。アレは、匡雅兄の命取りにもなり兼ねない。大事なら、早くね。」
「…。」
意味深な視線がじっくりと琥珀の瞳を覗き込む。
深い翠の視線は、それだけで見る者の心を鷲掴みにする。
「待ってるよ。」
その一言で、翔一郎は踵を返した。
----急に現金が必要になった。
そんな電話で椿が個人資産から十八億の出費を即決したのは気まぐれからだ。
元々、金を湯水のように使うタチの男ではなかったが、莫大な収入の割には極端に出費の少ない男だった。
無論ケチな訳ではなく、はっきり言ってしまえば使っている暇がなかった、というところに落ち着くだろう。学生時代から現在まで、遊びや趣味に興じている時間も余裕もない有様だったのだ。大体、遊びだの趣味だの、そんな時間と余裕があるのなら寝ていたい。その実にシンプルな欲望だけが椿の望みのすべてであった。
今更ではあるのだが、椿という男はその数多(あまた)ある肩書とは裏腹に、実につまらない人生を過ごして来た。
そんな椿がいきなりの大物買い。大出費である。翔一郎でなくても椿を知る人間ならば好奇心を抑えられないだろう。
都心の一等地。界桜グループが所有する超高級マンション。建築中に何度か訪れたその場所は、夜になると足元に宝石が散らばっているかのような夜景が楽しめる。
その最上階ともなれば、見下ろす優越感もひとしおだろう。
一年前までは左団扇だったIT企業の会長が、今は金策に走り回るご時世となった。このままでは死ぬしかない。そう電話越しに命乞いする男を救ってやる義理はないが、買い叩いておいて損は無い。見栄を張って購入した際の値は、現在価格の数倍にもなるだろうに、男は十八億で手を打つという。そうとう追い詰められているのだろう。
尤も、そんな事はどうでも良い。かつて見た高層階からの眺めを思い出し、椿は涼しげな眼元に深い笑みを刻む。
あれに似合いそうだ…。
フッと脳裏を過ったたおやかな美貌。
万人が平伏すであろう翔一郎の美貌とは一味違う、けれど絶世の美貌と称されるに相応しい面(かお)を思い出し、椿は散財を決行した。取引銀行が一時騒然となるような素早さで。
「名義は私のものですが?」
「そんな事は知ってる。問題は…。」
アレは、誰?
意味深な翔一郎の視線に椿は苦笑する。
思えば34年の付き合いだ。生まれた時から一緒だった翔一郎に隠し事など出来そうにない。
「まだ、紹介できるほどの関係ではありません。」
「兄…。自分名義とはいえ、超が付く高級マンションに住まわせておいて、それはないだろう?」
「本当ですよ。まだ、触れた事はありません。」
正確には、怖くて触れられない、といったところか。
「本当に?」
「ええ。まだ子供なんです。」
椿の一言に、翔一郎は眼をまん丸にした。
そう。彼はまだ子供。
穢れを知らぬ十八の子供なのだ。
そんな電話で椿が個人資産から十八億の出費を即決したのは気まぐれからだ。
元々、金を湯水のように使うタチの男ではなかったが、莫大な収入の割には極端に出費の少ない男だった。
無論ケチな訳ではなく、はっきり言ってしまえば使っている暇がなかった、というところに落ち着くだろう。学生時代から現在まで、遊びや趣味に興じている時間も余裕もない有様だったのだ。大体、遊びだの趣味だの、そんな時間と余裕があるのなら寝ていたい。その実にシンプルな欲望だけが椿の望みのすべてであった。
今更ではあるのだが、椿という男はその数多(あまた)ある肩書とは裏腹に、実につまらない人生を過ごして来た。
そんな椿がいきなりの大物買い。大出費である。翔一郎でなくても椿を知る人間ならば好奇心を抑えられないだろう。
都心の一等地。界桜グループが所有する超高級マンション。建築中に何度か訪れたその場所は、夜になると足元に宝石が散らばっているかのような夜景が楽しめる。
その最上階ともなれば、見下ろす優越感もひとしおだろう。
一年前までは左団扇だったIT企業の会長が、今は金策に走り回るご時世となった。このままでは死ぬしかない。そう電話越しに命乞いする男を救ってやる義理はないが、買い叩いておいて損は無い。見栄を張って購入した際の値は、現在価格の数倍にもなるだろうに、男は十八億で手を打つという。そうとう追い詰められているのだろう。
尤も、そんな事はどうでも良い。かつて見た高層階からの眺めを思い出し、椿は涼しげな眼元に深い笑みを刻む。
あれに似合いそうだ…。
フッと脳裏を過ったたおやかな美貌。
万人が平伏すであろう翔一郎の美貌とは一味違う、けれど絶世の美貌と称されるに相応しい面(かお)を思い出し、椿は散財を決行した。取引銀行が一時騒然となるような素早さで。
「名義は私のものですが?」
「そんな事は知ってる。問題は…。」
アレは、誰?
意味深な翔一郎の視線に椿は苦笑する。
思えば34年の付き合いだ。生まれた時から一緒だった翔一郎に隠し事など出来そうにない。
「まだ、紹介できるほどの関係ではありません。」
「兄…。自分名義とはいえ、超が付く高級マンションに住まわせておいて、それはないだろう?」
「本当ですよ。まだ、触れた事はありません。」
正確には、怖くて触れられない、といったところか。
「本当に?」
「ええ。まだ子供なんです。」
椿の一言に、翔一郎は眼をまん丸にした。
そう。彼はまだ子供。
穢れを知らぬ十八の子供なのだ。