2007.12。公開開始。
このブログは み羽き しろ の執筆活動の場となっております。
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男は常に頂点に立っていた。
そこに立つ事を余儀なくされていたと言った方が良いかもしれない。
男は常に頂点にあらねばならず。
そして、堕ちる事を赦されない。
「匡雅兄。」
「…翔一郎さん。どうしました。」
氷の美貌に呼び止められ、男----椿匡雅(ツバキ タダマサ)----は、ニヒルな微笑で振り返る。
日本を代表する超一流企業。その自社ビルの高層階は、当然、その企業の支配者が君臨する場所だ。その一角に椿はオフィスを持っている。会社に於ける彼の肩書は専務取締役。尤も、会社に顔を出すのは月に一度か二度。彼の本業は裏社会にあり、大企業の危険な部分を一手に引き受けている。
椿の裏の顔は極道。それも、闇の頂点を極めた極道の中の極道である。
そして、椿ににこやかな声を掛けたのは、冷酷非情で知られるアイスマン・桜隆寺翔一郎(オウリュウジ ショウイチロウ)。表でも裏でも巨大な力を持つ界桜(カイオウ)グループの、その支配者一族の次期総帥である。
「匡雅兄。最近、都心の一等地にある高層マンションの最上階をフロアごと買ったみたいだけど、何かあった?」
「…。あのマンションは元々界桜の持ち物ですよ。しかし、この不景気で手放したいという御仁がおられましてね。それで私が買い取ったのです。また、値はつり上がりますよ。」
「くすす。」
「何です?」
「値がつり上がっても、手放す気なんてないでしょ?」
「…。」
「誰を住まわせてるの?」
「翔一郎さん。」
「兄のプライベートに口は出さないよ。でも、兄が誰かを囲うなんて、初めてじゃない? さすがに気になるよ。」
しかも。
「あのマンションだけで十数億だよ? 今までセックスの相手に花一輪買ってやった事なんてないクセに。」
誰?
「もしかして、とうとう結婚でもする気になった?」
鋭利な深翠の瞳が可笑しげに揺れている。アイスマン、氷の帝王、白い悪魔。翔一郎を称する言葉は数多く冷酷さに彩られているが、乳兄弟である椿の前でだけは素が出るらしい。
類い稀な美貌の、その忌々しいほどの笑顔が今日は少し厄介だ。
そこに立つ事を余儀なくされていたと言った方が良いかもしれない。
男は常に頂点にあらねばならず。
そして、堕ちる事を赦されない。
「匡雅兄。」
「…翔一郎さん。どうしました。」
氷の美貌に呼び止められ、男----椿匡雅(ツバキ タダマサ)----は、ニヒルな微笑で振り返る。
日本を代表する超一流企業。その自社ビルの高層階は、当然、その企業の支配者が君臨する場所だ。その一角に椿はオフィスを持っている。会社に於ける彼の肩書は専務取締役。尤も、会社に顔を出すのは月に一度か二度。彼の本業は裏社会にあり、大企業の危険な部分を一手に引き受けている。
椿の裏の顔は極道。それも、闇の頂点を極めた極道の中の極道である。
そして、椿ににこやかな声を掛けたのは、冷酷非情で知られるアイスマン・桜隆寺翔一郎(オウリュウジ ショウイチロウ)。表でも裏でも巨大な力を持つ界桜(カイオウ)グループの、その支配者一族の次期総帥である。
「匡雅兄。最近、都心の一等地にある高層マンションの最上階をフロアごと買ったみたいだけど、何かあった?」
「…。あのマンションは元々界桜の持ち物ですよ。しかし、この不景気で手放したいという御仁がおられましてね。それで私が買い取ったのです。また、値はつり上がりますよ。」
「くすす。」
「何です?」
「値がつり上がっても、手放す気なんてないでしょ?」
「…。」
「誰を住まわせてるの?」
「翔一郎さん。」
「兄のプライベートに口は出さないよ。でも、兄が誰かを囲うなんて、初めてじゃない? さすがに気になるよ。」
しかも。
「あのマンションだけで十数億だよ? 今までセックスの相手に花一輪買ってやった事なんてないクセに。」
誰?
「もしかして、とうとう結婚でもする気になった?」
鋭利な深翠の瞳が可笑しげに揺れている。アイスマン、氷の帝王、白い悪魔。翔一郎を称する言葉は数多く冷酷さに彩られているが、乳兄弟である椿の前でだけは素が出るらしい。
類い稀な美貌の、その忌々しいほどの笑顔が今日は少し厄介だ。
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たった一人の男の為に、人生のすべてを捧げてきた。
たった一人の存在の為に、この命のすべてを。
出会った時は、美しいだけの少年。
けれど、その内に秘めていた激しさと潔さに、惚れた。
すべては、たった一人の男の為。
その存在の為だけに、己は生きてきた。
生き続けてきたのだ。
その存在を、目前で喪う絶望。
魂が絶叫する。
『閣下
すべては、一瞬の事。
「そうか・・・あの馬鹿者は、死んだか。」
「申し訳ありません・・・。しかし、まだ死んだとは・・・。」
「おぬし。あの城を、あの城下を見て、それでも、そんな事が言えるのか・・・。」
「トレイアス殿・・・。」
「仕方あるまいよ・・・あの馬鹿息子が選んだのだろう。あの小さな姫と共にある事を。」
「神族は、下界で死ぬ事などないと聞いております。」
「あの姫が死なぬ事と、あの馬鹿が生きておる事とは同義にならん。神の聖剣とて、ホンモノの前では意味を成すまい。」
「・・・。」
「それで、これからぬしはどうするのだ。」
「・・・仲間と共に、南を目指します。」
「そうか。」
「はい。」
「南の地で、あの馬鹿を待つのか?」
「はい。」
「ぬしも物好きだな。」
「惚れた・・・弱みでしょう。」
「ははは。あの馬鹿は、人を魅了する事だけには長けておる。」
「お父上の血筋でしょうか。」
「ならば、命を粗末になどすまいよ。妻も子も持たず。ぬしのような男に惚れられても、その力を生かしきってやる事もできず。宝の、持ち腐れのまま・・・。」
「閣下と出会わなければ、私の人生などクズのようなものでした。」
「ドゥオル。」
「閣下と出会えた事が、私にとっては最高の幸運だったのです。」
「ならば、アレの存在も無駄ではなかったという事か・・・。」
「だから、待ちます。待たせていただきます。ずっと。」
「そうか。」
あれから四年・・・。
息子の許に集っていた剣闘士達はどうなったのか。
世界最強の軍団と謳われ、戦う事でしか生きられぬ男達であったのに。
女子供を連れ、この荒野を今もなお彷徨っているのだろうか。
「お父さま。」
「アイラか。」
「はい。」
「どうした?」
「ライラお姉さまが、また夢にうなされて・・・。」
「ライラが?」
「はい。日に日に悪夢が酷くなっているような。一体、どうしてしまったのでしょう。まさか、アミューン兄さまのように・・・。」
「バカを申すな・・・。」
「でも、お父さま。」
一体、何が起こっているというのか。
ライラの不可思議な夢が悪夢に取って代って数日が過ぎていた。
『何かが来ます・・・黒く、悪しきものが・・・。』
悪夢から目覚める度、ライラは怯えたような眼でテントの裂け目から空を見上げる。
過酷な生活が祟ったのか、最近は寝たきりだ。言葉にはしないものの、もう、椅子にすら座っているのが辛いらしい。
『神よ。どうかその怒りを収め、罪なき子らだけはお護りください。これ以上、幼き命を苦しめないでくださいませ。』
その祈りの声が、夜明けのテントの中に悲しく響く。
随分と多くの命が失われた。
彼らの村だけでなく、この人間世界から。
「ライラ。」
「お父様。」
「泣くな。そなたが泣けば、妹たちも泣く。」
「・・・すみません。」
「最近の夢は、以前のものとは違うようだの。」
「はい・・・酷く、危険を感じるのです。」
「危険?」
「以前の夢に、こんな危機感はなかった。何かが迫ってくる圧迫感・・・酷く息苦しいのです。そして、邪悪な感じが日に日に強くなるのです。」
何かが、確実にやって来る。
その予感が、日に日に強くなる。
「ディオネイル兄様・・・。兄様は、わたくしに何かを伝えたくて夢を見せているのでしょうか。」
「馬鹿な。あの愚か者は死んだのだ。」
「お父様。」
「さあ、まだ早い。もう少し眠るのだ。」
ライラには解っている。
この父が、一番兄の生存を願っているのだ。
最愛の妻が残した唯一の子。
諦められるはずがない。
「ライラ。お前が眠るまで、わしが傍についていてやろう。」
「はい。」
「手を握っていてやろうか。」
「まぁ、わたくしは幼子ではありませんわ。」
「はは。そうであったな。」
夜明け前の静寂。
陽が昇れば、また空を見上げるだけの時間が始まるのだろう。
数年前、贅沢の極みに暮らしていた日々を夢見る余裕もなく、飢えと、渇きに耐えるだけの長い時間が。
ライラは、ゆっくりと目を閉じる。
父の視線に護られている時だけは安心して眠れるのだ。
その時。
「・・・っ?!」
「お父様?」
「蹄の音・・・まさか・・・っ。」
『人間狩りだ
すべての運命が、今、この瞬間。
轟音と共に一気に動き出す。
⑧に続く。
運命の女神が織り上げる、壮大なる運命のタペストリー。
その綾なす糸に人間の存在を加える事が出来るのはただひとり。
裁きの女神。
千年に一度、人間界に舞い降りる美しき少女神。
世界を裁く。
その意味において、彼の女神の存在は他神を圧倒するほどに絶大であった。
それ故に。
運命の女神は待ち続けている。
裁きの女神が、その白き指先で新たなる糸を紡ぎ上げるその刻を。
「おいでおいでっていうよ。」
「それは、声だけか?」
「うん。」
「何も見えない?」
「うん。でもかたいの。」
「硬い?」
「そお。かたいよ。おっきくてかたいの。」
「大きくて硬い? 触れられるのか?」
「ううん。でもかたくておっきくて。おいでおいでっていうの。」
「・・・触れられないのに、硬いと解るのか?」
「うーん?? よくわかんない。」
幼子の言葉には脈絡がない。
追い打ちをかける舌っ足らずの声。
「とーちゃ。も、いーい?」
「あ・・・。」
とうとう飽きてしまったのか、父であるダグの膝上からスルリと滑り降り、さっさと掘立小屋を駈け出してゆく後姿。尋問拷問は得意技のドールも齢三つの子供相手では勝手が違う。子と、子の父であるダグと三人で時間を掛けて話してみたが、やはり子を呼ぶ声の謎は謎のままだ。
「キュアには、まるで聞き覚えがない声なのだな?」
「ああ、そう言っていた。閣下の声でもないと。だが、空耳ではないとも言っている。」
「男の声が『見つけた』といったのだな?」
「ああ。だから心配している。ヒイに何か起こるのではないかと。」
「硬くて大きな何かがヒイラギを呼んでいる・・・。」
「閣下が、ヒイの名には意味がある、そんな事を言っていた。それに、多分、本当の名付け親は姫様だろう。だとしたら、何が起こっても不思議じゃない。」
何しろ、もしかするとヒイラギの本当の名付け親は神かもしれないのだ。
しかも、その溜息ひとつで世界の息の根を容易く止めてしまうほどの力を持つという絶対神だ。
「・・・。」
「なあ、ドール。」
「うん?」
「本当に閣下は死んだのか? あの時、姫様は何処にいたんだ?」
「・・・。」
「お前は、炎の中に消えてゆく閣下を見たと言ったな?」
「ああ。」
「閣下は姫様を助けに行ったんだろう?」
「そうだ。」
王都に降り注ぐ光の雨。
その雨は、物質に触れた途端赤黒い炎に姿を変え、あっという間に王都は火の海となった。
「姫様は王妃の間におられたはずだ。俺は、血相を変えて現れた閣下と中庭で偶然会い、すぐに皆とその家族を纏めて国境を超えるように命じられた。」
その最中にも、城を包む炎は生き物のように壁を這い、草木を焼き払っていた。
瞬く間に窓の其処ここから火柱が噴き上がり、逃げ惑う人々の悲鳴と叫びに耳を貫かれ、ドールは眼前の光景に一瞬、身が竦んだ。
地獄だった。
「ガローン邸に使いを出す事もその時言われ、俺はリーゲ(ドールの愛馬)のいる厩舎に走った。」
「そして、厩舎でオレと会った。」
「ああ。お前に閣下の命令だけを伝え、俺は再び閣下の許へ・・・だが・・・。」
中庭でリーゲから飛び降りた時、ドールの頭上から火の玉が幾つも降って来た。
それが、炎に巻かれた人間だと知った時の衝撃。
無我夢中で中に飛び込んだ。
「王妃の間は、真黒な炎に包まれていた。扉の前には、閣下が立ち尽くしていて・・・。」
あの時・・・。
「ドール。何としても生き延びてくれ。そう言って、閣下は黒い炎の中に飛び込んで行った。」
その直後、一緒に飛び込もうとしたドールの前で。
「王妃の間は崩れ落ちた・・・。一瞬だ・・・。」
「ドール・・・。」
「あの時。初めて、絶望という言葉の意味を知った。」
後は、何も覚えていない。
崩れた足元から階下に落ちて、そこから這いだしたらリーゲがいた。
それだけだ。
⑦につづく。
命育む主を失くした白い太陽。
光を失った人間たちの恐怖が生み出した黒い月。
時間を司る女神が織り上げる運命のタペストリーには、元々人間の糸など存在しない。
人間とは、世界が生み出した矛盾そのもの。
本来、存在しないものが存在してしまうが故に世界は歪む。
それ故に。
監視国リシュリアン・リームは造られた。
神々の代行者として、世界を裁くその為だけに。
その夢を最初に見たのは二年ほど前だっただろうか・・・。
否。
夢と呼ぶには不可思議な現象であったかもしれない。
脚が・・・痛みを感じたのだ。
そして、目前に黒い大地が広がった。
漆黒の闇の中だというのに、天と地の境目がくっきりと分かたれていて。
まるで白昼夢。
けれど、この脚が痛みを感じるはずなどない。
幼い頃の刀傷が元で、ライラの下半身は麻痺してしまったのだ。
まして薄暗いテントの中に黒い大地を見る事などあり得ない。
だから、夢だと思ったのだ。
それなのに。
その現象は時折ライラの許を訪れ、やがて夢との区別がつかなくなった。
「ディオネイル兄様・・・。」
あの不可解な夢に人影が現れたのは、ここひと月の事だろう・・・。
先に赤い川が現れ、そしてその向こうに人影がちらつくようになった。
「姫君・・・。」
薄汚れたテントの小さな裂け目から白い月を眺めながら、ライラは今日何度目になるか解らない溜息を吐く。
あの美しい少女を兄が連れて現れたのは、神々の報復が始まるひと月ほど前の事だった。
父トレイアスに勘当され十二年。それまで一度として城下の邸に姿を見せた事などなかったのに、ある日突然、兄は僅かな供を連れ人目を避けるようにやって来た。
本来なら、あの父の気性を考えれば、それは自殺行為にも等しかっただろう。
父は、決して一人息子の行動を許しはしなかったから。
トレイアス・ガローンの子供たちは、すべて血の繋がりがない。
唯一、血の繋がった父子がトレイアスとディオネイルである。
だから、ライラが父と呼び、兄弟姉妹と慕うのは、元を糺せば赤の他人だ。
そして、ほとんどが戦争孤児なのだ。
その孤児を生み出す戦争の、その最前線に立つ事を選んだ実の息子をトレイアスは憎んでさえいた。
ディオネイルの母アーリアもまた、戦争に巻き込まれて死んだのだ。
トレイアスにとっては、最愛の妻だった。
それなのに。
だから、あの日。兄が邸を訪れた時、ライラは生きた心地がしなかった。父と兄。その間で殺し合いにでもなるのではないかと思ったのだ。
だが、そうはならなかった。
兄の乗った馬車に、ひとりの少女がいたからだ。
美しい少女だった。
神族と言われ、さもあらんと納得した。
朱銀に輝く長い髪は大きく波打ち、同色の瞳は冷やかに人の心を見透かすような刃を秘め。
この年、十一歳になったばかりの女神。
溜息の出るような。
言葉すら失くしてしまうような。
その美しさは異常ですらあった。
住む世界が違うと言ってしまえばそうなのだろうが。
世界中の王侯貴族と交流を持つトレイアスですら『反則だろう・・・これは・・・。』と、意味不明に呟いてしまうほどその少女は美しく、そして悲しいほどに異質であった。
長身の剣闘士達に護られ、漆黒のヴェールで全身を覆った小さな影が馬車を降りる。
ディオネイルの大きな手のひらに添えられた、その細い指先の異常な白さ。
不躾にも唖然としたまま見下ろすトレイアスの対応に腹を立てるでもなく、その幼い声は淡々と事実だけを告げる。
その瞬間、父が背をビクリと震わせるのを、ライラは車椅子に座ったまま見上げていた。
⑥に続く。
甘やかな微笑みを浮かべ、少女は囁くような声でそう言った。
大きな瞳に小さな刃物を煌めかせ、幼い女神は穏やかに。
軽やかな歌声の聞こえる裏庭を見下ろしたまま。
裁きの女神は、うっとりと、風にその美しい髪を弄ばせた。
それは。
神々の報復が始まる数日前の事。
穏やかな陽射しの揺れる、初夏の午後だった。
懐かしい夢を見ていた。
木漏れ日の下、洗濯女たちの歌声を聴きながら昼寝をする夢だ。
洗濯女たちの中にはダグの女房もいて、洗い立てのシーツを干しながら青空を見上げては流れる雲を数えていた。
幸せだった。
自分は、このひと時の為に命懸けで戦場を駆け回っているのだと素直に信じていられた頃。
リレイム邸の裏庭。
甘く香る白蘭。
「あんた・・・あんた・・・。」
「ん・・・。」
邸の二階。
大きな窓辺に佇む小さな影。
乱反射する日差しの向こう。
硝子に透ける紅い唇。
「あんたっ。ダグっ。」
「あーっ? なんだよ、キュア。」
あれから、何年経ったっけ・・・。
目の前の現実こそが夢であって欲しいと何度願った事か。
不安に揺れる緑の瞳。
乾いた唇が切れて痛々しい。
「どうした?」
「あのさ・・・ヒイの事なんだけど。」
「ヒイラギの事?」
「うん・・・この頃あの子、妙な事を言うんだよ。」
「妙な事?」
「うん・・・それがね。誰かが呼んでるって言うんだよ。ねんねすると、誰かが呼ぶって。」
「寝てたら? 誰かが呼ぶ?」
「ああ、そうなんだ。あたし、凄く気になって・・・試しにさっき、昼寝の時に膝枕してやったんだよ。そしたら・・・。」
「どうした?」
「冷たいんだよ・・・あの子の身体が。」
「は?」
「氷みたいに。凄く冷たくなって・・・。あたし、このまま死ぬんじゃないかって、怖くなって無理やり起こしてしまって・・・。そしたら。」
「そしたら? どうしたんだ?」
「声が・・・。」
「声?」
「『見つけた』って・・・聞いたこともない男の声が・・・。あたしの背中の方から・・・。」
「・・・。」
「でも・・・でもでも、誰もいなかったんだよっ。本当にっ。だって、ここの連中の声なら、目をつぶってたって聞き分けられるよ、あたし。でも、違うんだっ。ぜんぜん聞いた事のない。凄く低くて澄んだ男の声で。」
「男の声・・・。」
「そう。あたし、ひっ!! って飛び上がるくらい冷たい声にびっくりして。だから。どうしようっ。ねぇ、まさか、ヒイに何かあるんじゃ・・・。」
「キュア。」
「ヤダよっ、あたし。あたし、あんたと結婚して、十五年も子供出来なくて。やっと、やっとヒイを授かったのに。ヤダよ、ダグ。ねぇ、どうしたらいい? 誰がヒイを呼んでるんだいっ?!」
南の果ての小さな村。
終りのない押し問答の末。村の外に掘った新しい井戸から僅かな水を得て、ドールとダグは一先ず故郷に帰りたいと願う人々を押しとどめる事に成功した。
尤も、掘り出された水は泥水で、濾過にはかなり時間が掛かる代物だ。しかも、濾過された水の量は微々たるもの。どちらにしても、彼らが村を棄てるまでにさほどの時間は必要ないだろう。
だが、この時になってダグの女房キュアが息子の異変に気がついた。
二人の間に生まれた一人息子ヒイラギは、彼らが国を脱出して一年後に誕生している。
ヒイラギの名付け親は、表向き彼らの主ディオネイルとなっている。
キュアが妊娠する前に、その兆候さえなかったというのに、ある日突然、彼はダグに言ったのだ。
『きっとキュアは男子を産み落とす。だから私が名付け親になろう。』と。
無論、最初は何の冗談かとダグは笑った。
すでに子供の誕生を諦めていた頃の事だったからだ。
だが、ディオネイルははっきりと言ったのだ。
『ダグ。子が生まれたらヒイラギと名づけろ。意味は、その内教えてやろう・・・。』
今にして思えば、彼はヒイラギが生まれる事を最初から知っていたのだろう。
ならば、その名付け親はディオネイルではなく、あの美しい姫だ・・・。
しかし・・・。
「ねぇ、ダグ。ドールに相談しておくれよっ。あたし、怖いよ。ねぇったらっ!!」
「あ・・・ああ。」
しかし、なぜ。
なぜ、今なんだ?
⑤につづく。