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たった一人の男の、愛ゆえの愚かさが世界を崩壊させてゆく。
『女神の降臨に於ける盟約十カ条』
それは、たった一枚の紙切れ。
けれど、その紙切れの持つ意味を、力を、下界の人間たちは誰もが理解していなかった。
天上界。
神国リシュリアン・リーム。
世界を創造せしマントル八神に守護されし『監視国』。
その皇族は、千年に一度下界を裁く為、ひとりの皇女を降臨させる。
「どうした・・・?」
「お父様・・・。」
「酷くうなされておった。」
「夢を・・・夢を見ました・・・。」
「夢?」
「黒い大地に・・・赤い川・・・ひとが・・・誰かが立っていて、何かを指さして・・・でも。」
「ライラ。何を泣いておる?」
「・・・え?」
「涙ぞ・・・頬に跡が。」
「気づきませんでした・・・。」
黒い月が、紫紺の空を音もなく焼いている。
世界の空が、かつては無数に輝いていた星々の光を失って一年。
月の神と太陽の女神に見捨てられた下界の時間は、流れはそのままに昼夜のバランスだけを失いつつあった。
毎日、昼と夜の長さが違う。
光と闇の区別がなくなる。
一日の概念が壊れる。
この現象に、多くの人間たちが精神を病み、命を断つ者が後を絶たないという。
「内陸も、もうダメかのぅ・・・。」
「お父様。」
ボロボロのテントの中、暖をとる為の僅かな煙が虚空を漂う。
ここは世界の中心に当たる内陸部キルムにある、かつてキャラバンと呼ばれた商隊の小さな集落内の長のテントだ。
彼らは三年前、北の国より大陸を巡りこの地へ辿り着き、テント村を築いて今に至っている。
「信じられるか、ライラ。この荒野が、数年前までは樹海であったなどと。」
「・・・。」
「この世界から、水がなくなるなどと・・・。」
「お父様・・・お疲れです。もう、おやすみくださいませ。」
「構わぬ。どうせ眠れぬのだ。」
「でも、もう何日も眠られておられません。お身体が。」
「構わぬ。こうしてお前と語らっていられるのも、あと僅かであろう。」
「何という事を申されます。」
「わしは、充分に生きた。もう、充分なのだ。ライラ。」
「お父様・・・。」
「ただ、お前たちの事だけが気がかりで仕方ない。これ以上、誰も喪いたくないと思うのに・・・。また・・・息子が死んでしまった。」
「アミューン兄さま・・・。」
「無理をしおって・・・父より先に逝くなどと・・・。親不孝な。」
三年前、ここに村を築いた時には千人近くの人間が暮らしていた。
今は、もう・・・その半分にも満たない。
多くは病と栄養失調で命を落とし。
更には不慮の事故で帰らぬ人となり。
そして最近、自ら命を絶つ者が増え始めた。
誰にも、どうする事も出来ない現実に絶望したのだろう。
アミューンもその中の一人だった。
前日までは懸命に生きる道を模索していたのに・・・。
ライラは、その事実だけを知らされている。
彼女は、このテントを出る事は滅多にない。
足が不自由なのだ。
「お父様・・・。」
「ん?」
「今、思い出したのですけれど・・・あの人影。」
「人影?」
「夢の。」
「うむ。」
「あれは・・・ディオネイル兄さまでは・・・。」
「なに?」
「暗くて顔は解らないのですけれど・・・あの横顔・・・。」
「ばかを言うな、ライラ。あやつは・・・あの愚か者は、王城で死んだと聞くぞ。」
「お父様。」
「第一、今さら、ただの夢ではないか。最後までわしを怒らせたまま・・・あのバカは・・・。」
「お父様。でも、わたくし達が無事に国を脱出できたのは兄さまのお陰ですわ。兄さまの使いが来なければ、わたくし達は神の報復に巻き込まれて、今頃どうなっていた事か。」
「ライラ・・・。」
「それに・・・。」
「それに?」
「今まで黙っておりましたが、わたくし、同じ夢を何度も見ているのです。」
黒い大地。
赤い川。
「デイノス(死の荒野)によく似た・・・あの岩場。」
指をさす人影。
暗いはずなのに、なぜかそのシルエットだけがはっきりと見えて。
「もしや・・・兄さまが呼んでいるのでは・・・。」
「あのバカが? 今さら、何の為に。」
「お父様・・・。」
「あり得ぬ・・・。」
「でも。もしも・・・もしも兄さまが生きておられるのならば・・・。」
「そこには、必ず神の姫がおられるのではありませんか?」
④に続く。
寄せては返す硫酸の波。
空を流離う薄紫の雲。
大地を覆う黒い緑。
天地創造の時代より、この世界の理は何ひとつ変わる事はない。
人・・・その存在を除いては・・・。
「ドゥオル。」
「・・・。」
「相談があるんだが・・・。」
「ダグ・・・お前がその名でオレを呼ぶ時はロクな事がない・・・。」
「ああ。」
「故郷に・・・みな、帰りたいのだろう・・・。」
「ああ。」
「先ほど報告が来た。やはり新しい井戸にも硫酸が混じって飲み水にはならないと。」
「ドール・・・。」
「子どもたちがいる。長旅。しかも、食料も、肝心の水すらも用意出来ん。ここから北の果てへ・・・一年は掛かるだろう。生きて辿り着ける可能性は皆無に等しい。」
「・・・解ってる・・・でも。」
「弱り切った女や子どもを連れて、馬もなく・・・村の外がどうなっているのかも解らない。故郷が今も存在しているのか、それすらも。多分、希望もない死への旅になるだろう。その決断を、オレに迫るのか?」
「お前しか、いないだろう。」
「勝手な事を。」
「解ってる。」
「無責任な。」
「解ってる。」
「ばか。」
「解ってる。」
ヒイナの死から、丸一日が過ぎていた。
最愛の娘を亡くした父親の悲痛な願いが仲間を動かし、村の意見は彼らの故郷へ旅立つ事で一致していた。
過酷な旅になるだろう。
しかも、帰った先に国が存在しているかは行ってみなくては解らない。
その上、旅立つ為の問題も山積している。
食料と、水。
まずはソレだ。
だが、どれほど思い悩んでも答えなど出るはずがない。
「水戦争で滅びた小国が幾つかあったはずだろう。」
「水が僅かでもあるなら、国は存在しなくても必ず人は存在する。争いは避けられない。」
「人肉が手に入る・・・。」
「ダグ、殺スぞ。」
集会所とは名ばかりの掘っ立て小屋で、ドールとダグは長い髪を掻き毟りながら地図を睨んでいた。昔、彼らが世界最強の剣闘士軍団として名を馳せていた頃の古い地図だが、この世界に存在する物としてはかなり正確な地図である。
さもあらん。
この地図を彼らに与えたのは世界を創りし神の娘。
彼らは初めてこの地図を見て、世界の広さや成り立ちを知ったのだ。
「昔・・・。」
「ん?」
「閣下の前で、俺たちはよくこうして頭を抱えたよな。」
「ああ・・・。」
「閣下はムチャな事を言うし、その度にお前はヘソを曲げるし、俺はいつも板挟みでヤケ酒だった。」
「・・・オレは悪くない。」
「はは。いつもそう言って、結局、閣下に押し切られたよな。お前は閣下に甘いから。」
「お前ほどじゃない。」
「最後の口説き文句が【ドール、お前にしか頼めない】だったっけ。」
「そして【ダグ、お前もそう思うだろ】だ。」
「はは、そうだった。」
血の336騎。
それが彼らの通り名。
彼らは身分の低さゆえ貴族出身の騎士たちからは決して快く思われていなかったが、エザンドーエン国民からは圧倒的な支持を受け、敵からは血の軍団と恐れられていた。
特に、彼らの主であるディオネイル・ロッド・リレイムは『鮮血の貴公子』と呼ばれ、神の聖剣を片手に戦場を駆ける姿はまさに深紅の戦神『ジェリード』であった。
愉しかったよなぁ・・・。
故郷を棄て去るを得なくなった彼らは、よくそう言って過去を愛でた。
国よりも平和よりも、彼らは一人の男をこそ愛した。
その男の為に戦場を駆け、勝利を手にする度、美酒と共に彼の名を飲み干し、彼の部下である己の幸運を噛み締めたものだ。
そして・・・。
あの美しい少女がその名を呼ぶのを聞く度、彼らは身に余る喜びにうち震えたものだ。
神の娘。
絶大なる力を持った裁きの女神。
その少女の美しい声で名を呼ばれる栄誉は、彼らの主だけのものだった。
③につづく
「どうだ・・・。」
「ダメだ。」
「そうか。もう、限界だな。」
「ああ・・・しかし、限界と言っても、もう我々には進むべき道はないぞ。このままでは、死ぬだけだ。」
血に塗れた娘の亡骸を抱いて、男が号泣している。
娘は枯れ枝のようにやせ細ってはいたが、つい数刻前までは笑顔を見せていた。
まだ15。
本来ならば、未来に乙女の夢を抱き、これからの一生に思いを馳せるであろう年頃だ。
だが、娘は死んだ。
大量の血を吐いて。
娘の手には、木製のカ゜ップが握られており、その中には僅かに水が入っていた。
硫酸の混じった井戸水だった。
「ヒイナ・・・ヒイナ・・・しっかりしてくれ・・・目を、目を開けてくれ・・・ヒイナ・・・。」
号泣する男は、ただ、娘を抱きしめている。
それ以外、何もしてやれる事がないからだ。
誰を責める事も出来ない。
否。
責める相手がいるとすれば、それは地の果てにいて男の叫びなど聞こえはしない。
尤も、今も生きているかどうか・・・それは解らないが。
そんな父娘を、痛ましげな眼差しで見つめている男たちがいた。
「もう、この井戸もダメだ。」
「この分では、新しい井戸を掘っても無駄だろうな・・・どうする。」
「どうすると言っても。もう南の果てだ。西は冷たい太陽に長年焼かれ続け黒焦げだという。東は、国境を軍で固め、ネズミ一匹忍び込む余地はない。」
「ああ。俺達なら戦うのは簡単だが、被害を考えると、な。水戦争で五大国の内、三国が滅びた。我らの故郷も大山脈の万年雪で何とか国を保ってきたが、既に限界だという。最も、風の噂に過ぎないが・・・。」
「故郷を棄て四年。南の地に移り住み二年・・・やっと手に入れた安住の地だというのに。ここまで生き延びて・・・たった四年で・・・。せめて、閣下がいてくれたら。」
「ドール。」
「ダグ。取り敢えず何人か集めて土葬してやってくれ。遺体をそのままにしてはおけない。伝染病のもとになってしまう。」
「解った。」
痛々しい眼差しを父娘に向けながら、しかし二人の偉丈夫は淡々と会話を続ける。すぐに遺体を処分しないと他の者たちにも影響を及ぼすからだ。
この村は小さい。
そして、滅びかけている。
「シダン・・・ヒイナを・・・。」
「ダグ・・・。」
「可哀想だが、葬ってやらねば。」
「ダグ・・・なぜだ・・・なぜ、我らがこんな・・・。」
「シダン。」
「なぜ、あの男を殺して神々に許しを請わなかったのだ・・・そうすれば・・・。」
「・・・。」
「閣下がいれば、姫様は我らに救いの手を差し伸べてくれた・・・きっと助けてくださった・・・あの男の首さえ天に翳せば。そうすれば・・・。」
シダンは、腕の中に横たわる血に塗れた娘の長い黒髪を、何度も何度も愛しげに撫で付け、うわ言のように同じ言葉を繰り返す。
あの男さえ罪を犯さねば・・・。
あの男さえ神との盟約を守っていれば・・・。
「シダン・・・。」
「閣下さえ・・・姫様さえ・・・いてくれたら・・・ヒイナは、ここにいる子どもたちだけは、きっと助かったはずなのに・・・。」
小枝のような娘の長い指先。
かつては短かったが、可愛らしく柔らかにふくよかだった。
「どうして・・・どうして、たった一人の男の犯した罪で、我らが死なねばならんのだっ。子どもたちに、何の罪があるというんだ・・・っ。」
涙は乾く事無くシダンの頬を流れ続ける。
呻くような嗚咽に交じり、海岸線を侵食する波音が遠くに聞こえる。
この世界、この大陸を覆う大海は硫酸だ。それ故、海岸線に村を作るなど凶器の沙汰だった。
けれど、彼らには他に住まう地がなかった。
この南の果てに辿り着けたこと事態、彼らには奇跡だったのだ。
たった一人の少女の導きが、彼らをこの地へ誘った。
そして四年の月日を彼らは生き延びて来た。
だが、限界だった。
最後の井戸が潰れた時点で、彼らは生きる術をなくしたのだ。
「帰ろう・・・。」
「シダン?」
「ダグ・・・帰ろう。俺たちの故郷に。エザンドーエンに。」
「シダン。」
「ここにいたって、もう生きる術はない。だったら、故郷に帰ろう。」
「しかし。」
「もしかしたら、閣下が生きているかもしれない。そうだっ。どうして考えなかったんだ・・・そうだよっ。」
「・・・え・・・。」
「ダグっ。どうして俺たち、考えなかったんだっ。閣下が死んだなんて、誰が確かめたんだっ?! もしかしたら姫様だって・・・そうだよっ。もしかしたら俺たちを探しているかもしれないっ。」
「シダン・・・おい、しっかりしろっ。」
「しっかりしてるっ!! だって、誰も二人の死を確かめた訳じゃないだろっ?! 閣下はともかく・・・姫様は神族だぞっ?! 何が起ころうと死ぬ事はないんだろっ??」
「それは・・・。」
「みんなで帰ろうっ。何処で死んだって今さらだろっ?! だったら、もう一度奇跡を信じようっ。少しでも閣下や姫様の傍に。」
「シダン・・・。」
「ダグっ。帰ろうっ!!」
②に続く
どこまでも続く黒い台地を、男はただひとり歩いている。
時折、汚れて乾いた両の手を見下ろしながら。
ただ、男は歩いている。
無論、ただ歩いているといっても目指す地は、ある。
その地が存在しているかどうかは別として。
そこに辿り着いたとして、何がどうなるものでもなかったが。
それでも、男は、病んだ身体に鞭打って、ただ前に進む。
風が噂を運んできたから。
崩壊してしまったこの世界に残る人間の数など極僅かではあったが。
それでも、どこからか噂は生まれ、風はそれを運ぶ。
『西の果てに黒き台地あり。
その台地の果てに深き裂け目があり、この陽の射さぬ暗き地の底からは絶えず水音が聞こえ、不思議な事に、この光も届かぬ地の底を吹き抜ける風は、時折、甘き果実の香りを地上に運んでくるらしい。』
人は、この噂に我を忘れて群がり、みな西を目指しているという。
だが、男は少なくともこの二年、人間の姿を見た事はない。
噂など、もとより眉唾。
それは男にも解っている。
しかし、それでも男が西に向かったのは、風の噂の中にたったひとつの光を見つけたからだ。
『されど、この台地の裂け目に降りて戻った者はいない。
否。
この裂け目が本当に存在しているのかも解らない。
だから、本当にこの地に辿り着いた者がいるのかも解らない。
第一、水の女神に呪われたこの世界で、水音など聞こえるはずもない。
当然、果実など・・・。』
けれど、と噂は続ける。
『黒き台地の裂け目から、時折、本当に時折。風に乗って、美しい歌声が・・・。』
その噂に、男は死の床から這い出たのだ。
かつて神の剣と呼ばれた愛刀ひと振りだけを片手に。
汚れて、裂け綻びて、何の役にも立たなくなった軽武装具を身に纏い。
数日ぶりに一欠けらの干し肉を口にして。
旅支度など何もない。
持てる物など何も。
時には戦場で、時には深き森や山々や水場で、人や獣を斬る為にあった剣は、今、地に埋もれた僅かな植物の根や、泥水を掘り出す為に使われ。
人の生活と共あった馬も、猟犬も、命あるものすべてが食となり。
大河が、小川が、泉が、池が。
湖も井戸も何もかも。
水に連なるものはすべて世界から奪われた。
世界を囲う海は、元より硫酸だ。
世界が創造されたその時から。
そもそも、男にとって崩壊したこの世界で生きる事になど何の意味もない。
奇跡など、今さら望みもしないし、祈ったところで一度狂ってしまった運命は変わらない。
大切なものは何もかも失った。
楽しかった日々。
友と笑い合う、そのささやかな時間が幸福というものなのだと知ったのは、すべてを喪ってからだった。
男は、ふと立ち止まると、己の手首を噛んだ。
途端、どろりと流れ出た血を啜り、咽喉の乾きを誤魔化した。
生きる事になど最早意味はない。
己の存在を放棄して、男は死の床についた。
その筈だった。
風が、あの噂を運んで来るまでは。
「姫・・・。」
生き延びよっ!!
最後に聞いた。
少女の叫び。
ディル・・・ここにいたのか?
己の名を呼ぶ、幼い声。
美しいその音が、今も、男の耳に残っている。
「姫・・・。姫は、何処に・・・。」
序章 完