2007.12。公開開始。
このブログは み羽き しろ の執筆活動の場となっております。
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命育む主を失くした白い太陽。
光を失った人間たちの恐怖が生み出した黒い月。
時間を司る女神が織り上げる運命のタペストリーには、元々人間の糸など存在しない。
人間とは、世界が生み出した矛盾そのもの。
本来、存在しないものが存在してしまうが故に世界は歪む。
それ故に。
監視国リシュリアン・リームは造られた。
神々の代行者として、世界を裁くその為だけに。
その夢を最初に見たのは二年ほど前だっただろうか・・・。
否。
夢と呼ぶには不可思議な現象であったかもしれない。
脚が・・・痛みを感じたのだ。
そして、目前に黒い大地が広がった。
漆黒の闇の中だというのに、天と地の境目がくっきりと分かたれていて。
まるで白昼夢。
けれど、この脚が痛みを感じるはずなどない。
幼い頃の刀傷が元で、ライラの下半身は麻痺してしまったのだ。
まして薄暗いテントの中に黒い大地を見る事などあり得ない。
だから、夢だと思ったのだ。
それなのに。
その現象は時折ライラの許を訪れ、やがて夢との区別がつかなくなった。
「ディオネイル兄様・・・。」
あの不可解な夢に人影が現れたのは、ここひと月の事だろう・・・。
先に赤い川が現れ、そしてその向こうに人影がちらつくようになった。
「姫君・・・。」
薄汚れたテントの小さな裂け目から白い月を眺めながら、ライラは今日何度目になるか解らない溜息を吐く。
あの美しい少女を兄が連れて現れたのは、神々の報復が始まるひと月ほど前の事だった。
父トレイアスに勘当され十二年。それまで一度として城下の邸に姿を見せた事などなかったのに、ある日突然、兄は僅かな供を連れ人目を避けるようにやって来た。
本来なら、あの父の気性を考えれば、それは自殺行為にも等しかっただろう。
父は、決して一人息子の行動を許しはしなかったから。
トレイアス・ガローンの子供たちは、すべて血の繋がりがない。
唯一、血の繋がった父子がトレイアスとディオネイルである。
だから、ライラが父と呼び、兄弟姉妹と慕うのは、元を糺せば赤の他人だ。
そして、ほとんどが戦争孤児なのだ。
その孤児を生み出す戦争の、その最前線に立つ事を選んだ実の息子をトレイアスは憎んでさえいた。
ディオネイルの母アーリアもまた、戦争に巻き込まれて死んだのだ。
トレイアスにとっては、最愛の妻だった。
それなのに。
だから、あの日。兄が邸を訪れた時、ライラは生きた心地がしなかった。父と兄。その間で殺し合いにでもなるのではないかと思ったのだ。
だが、そうはならなかった。
兄の乗った馬車に、ひとりの少女がいたからだ。
美しい少女だった。
神族と言われ、さもあらんと納得した。
朱銀に輝く長い髪は大きく波打ち、同色の瞳は冷やかに人の心を見透かすような刃を秘め。
この年、十一歳になったばかりの女神。
溜息の出るような。
言葉すら失くしてしまうような。
その美しさは異常ですらあった。
住む世界が違うと言ってしまえばそうなのだろうが。
世界中の王侯貴族と交流を持つトレイアスですら『反則だろう・・・これは・・・。』と、意味不明に呟いてしまうほどその少女は美しく、そして悲しいほどに異質であった。
長身の剣闘士達に護られ、漆黒のヴェールで全身を覆った小さな影が馬車を降りる。
ディオネイルの大きな手のひらに添えられた、その細い指先の異常な白さ。
不躾にも唖然としたまま見下ろすトレイアスの対応に腹を立てるでもなく、その幼い声は淡々と事実だけを告げる。
その瞬間、父が背をビクリと震わせるのを、ライラは車椅子に座ったまま見上げていた。
⑥に続く。
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甘やかな微笑みを浮かべ、少女は囁くような声でそう言った。
大きな瞳に小さな刃物を煌めかせ、幼い女神は穏やかに。
軽やかな歌声の聞こえる裏庭を見下ろしたまま。
裁きの女神は、うっとりと、風にその美しい髪を弄ばせた。
それは。
神々の報復が始まる数日前の事。
穏やかな陽射しの揺れる、初夏の午後だった。
懐かしい夢を見ていた。
木漏れ日の下、洗濯女たちの歌声を聴きながら昼寝をする夢だ。
洗濯女たちの中にはダグの女房もいて、洗い立てのシーツを干しながら青空を見上げては流れる雲を数えていた。
幸せだった。
自分は、このひと時の為に命懸けで戦場を駆け回っているのだと素直に信じていられた頃。
リレイム邸の裏庭。
甘く香る白蘭。
「あんた・・・あんた・・・。」
「ん・・・。」
邸の二階。
大きな窓辺に佇む小さな影。
乱反射する日差しの向こう。
硝子に透ける紅い唇。
「あんたっ。ダグっ。」
「あーっ? なんだよ、キュア。」
あれから、何年経ったっけ・・・。
目の前の現実こそが夢であって欲しいと何度願った事か。
不安に揺れる緑の瞳。
乾いた唇が切れて痛々しい。
「どうした?」
「あのさ・・・ヒイの事なんだけど。」
「ヒイラギの事?」
「うん・・・この頃あの子、妙な事を言うんだよ。」
「妙な事?」
「うん・・・それがね。誰かが呼んでるって言うんだよ。ねんねすると、誰かが呼ぶって。」
「寝てたら? 誰かが呼ぶ?」
「ああ、そうなんだ。あたし、凄く気になって・・・試しにさっき、昼寝の時に膝枕してやったんだよ。そしたら・・・。」
「どうした?」
「冷たいんだよ・・・あの子の身体が。」
「は?」
「氷みたいに。凄く冷たくなって・・・。あたし、このまま死ぬんじゃないかって、怖くなって無理やり起こしてしまって・・・。そしたら。」
「そしたら? どうしたんだ?」
「声が・・・。」
「声?」
「『見つけた』って・・・聞いたこともない男の声が・・・。あたしの背中の方から・・・。」
「・・・。」
「でも・・・でもでも、誰もいなかったんだよっ。本当にっ。だって、ここの連中の声なら、目をつぶってたって聞き分けられるよ、あたし。でも、違うんだっ。ぜんぜん聞いた事のない。凄く低くて澄んだ男の声で。」
「男の声・・・。」
「そう。あたし、ひっ!! って飛び上がるくらい冷たい声にびっくりして。だから。どうしようっ。ねぇ、まさか、ヒイに何かあるんじゃ・・・。」
「キュア。」
「ヤダよっ、あたし。あたし、あんたと結婚して、十五年も子供出来なくて。やっと、やっとヒイを授かったのに。ヤダよ、ダグ。ねぇ、どうしたらいい? 誰がヒイを呼んでるんだいっ?!」
南の果ての小さな村。
終りのない押し問答の末。村の外に掘った新しい井戸から僅かな水を得て、ドールとダグは一先ず故郷に帰りたいと願う人々を押しとどめる事に成功した。
尤も、掘り出された水は泥水で、濾過にはかなり時間が掛かる代物だ。しかも、濾過された水の量は微々たるもの。どちらにしても、彼らが村を棄てるまでにさほどの時間は必要ないだろう。
だが、この時になってダグの女房キュアが息子の異変に気がついた。
二人の間に生まれた一人息子ヒイラギは、彼らが国を脱出して一年後に誕生している。
ヒイラギの名付け親は、表向き彼らの主ディオネイルとなっている。
キュアが妊娠する前に、その兆候さえなかったというのに、ある日突然、彼はダグに言ったのだ。
『きっとキュアは男子を産み落とす。だから私が名付け親になろう。』と。
無論、最初は何の冗談かとダグは笑った。
すでに子供の誕生を諦めていた頃の事だったからだ。
だが、ディオネイルははっきりと言ったのだ。
『ダグ。子が生まれたらヒイラギと名づけろ。意味は、その内教えてやろう・・・。』
今にして思えば、彼はヒイラギが生まれる事を最初から知っていたのだろう。
ならば、その名付け親はディオネイルではなく、あの美しい姫だ・・・。
しかし・・・。
「ねぇ、ダグ。ドールに相談しておくれよっ。あたし、怖いよ。ねぇったらっ!!」
「あ・・・ああ。」
しかし、なぜ。
なぜ、今なんだ?
⑤につづく。
たった一人の男の、愛ゆえの愚かさが世界を崩壊させてゆく。
『女神の降臨に於ける盟約十カ条』
それは、たった一枚の紙切れ。
けれど、その紙切れの持つ意味を、力を、下界の人間たちは誰もが理解していなかった。
天上界。
神国リシュリアン・リーム。
世界を創造せしマントル八神に守護されし『監視国』。
その皇族は、千年に一度下界を裁く為、ひとりの皇女を降臨させる。
「どうした・・・?」
「お父様・・・。」
「酷くうなされておった。」
「夢を・・・夢を見ました・・・。」
「夢?」
「黒い大地に・・・赤い川・・・ひとが・・・誰かが立っていて、何かを指さして・・・でも。」
「ライラ。何を泣いておる?」
「・・・え?」
「涙ぞ・・・頬に跡が。」
「気づきませんでした・・・。」
黒い月が、紫紺の空を音もなく焼いている。
世界の空が、かつては無数に輝いていた星々の光を失って一年。
月の神と太陽の女神に見捨てられた下界の時間は、流れはそのままに昼夜のバランスだけを失いつつあった。
毎日、昼と夜の長さが違う。
光と闇の区別がなくなる。
一日の概念が壊れる。
この現象に、多くの人間たちが精神を病み、命を断つ者が後を絶たないという。
「内陸も、もうダメかのぅ・・・。」
「お父様。」
ボロボロのテントの中、暖をとる為の僅かな煙が虚空を漂う。
ここは世界の中心に当たる内陸部キルムにある、かつてキャラバンと呼ばれた商隊の小さな集落内の長のテントだ。
彼らは三年前、北の国より大陸を巡りこの地へ辿り着き、テント村を築いて今に至っている。
「信じられるか、ライラ。この荒野が、数年前までは樹海であったなどと。」
「・・・。」
「この世界から、水がなくなるなどと・・・。」
「お父様・・・お疲れです。もう、おやすみくださいませ。」
「構わぬ。どうせ眠れぬのだ。」
「でも、もう何日も眠られておられません。お身体が。」
「構わぬ。こうしてお前と語らっていられるのも、あと僅かであろう。」
「何という事を申されます。」
「わしは、充分に生きた。もう、充分なのだ。ライラ。」
「お父様・・・。」
「ただ、お前たちの事だけが気がかりで仕方ない。これ以上、誰も喪いたくないと思うのに・・・。また・・・息子が死んでしまった。」
「アミューン兄さま・・・。」
「無理をしおって・・・父より先に逝くなどと・・・。親不孝な。」
三年前、ここに村を築いた時には千人近くの人間が暮らしていた。
今は、もう・・・その半分にも満たない。
多くは病と栄養失調で命を落とし。
更には不慮の事故で帰らぬ人となり。
そして最近、自ら命を絶つ者が増え始めた。
誰にも、どうする事も出来ない現実に絶望したのだろう。
アミューンもその中の一人だった。
前日までは懸命に生きる道を模索していたのに・・・。
ライラは、その事実だけを知らされている。
彼女は、このテントを出る事は滅多にない。
足が不自由なのだ。
「お父様・・・。」
「ん?」
「今、思い出したのですけれど・・・あの人影。」
「人影?」
「夢の。」
「うむ。」
「あれは・・・ディオネイル兄さまでは・・・。」
「なに?」
「暗くて顔は解らないのですけれど・・・あの横顔・・・。」
「ばかを言うな、ライラ。あやつは・・・あの愚か者は、王城で死んだと聞くぞ。」
「お父様。」
「第一、今さら、ただの夢ではないか。最後までわしを怒らせたまま・・・あのバカは・・・。」
「お父様。でも、わたくし達が無事に国を脱出できたのは兄さまのお陰ですわ。兄さまの使いが来なければ、わたくし達は神の報復に巻き込まれて、今頃どうなっていた事か。」
「ライラ・・・。」
「それに・・・。」
「それに?」
「今まで黙っておりましたが、わたくし、同じ夢を何度も見ているのです。」
黒い大地。
赤い川。
「デイノス(死の荒野)によく似た・・・あの岩場。」
指をさす人影。
暗いはずなのに、なぜかそのシルエットだけがはっきりと見えて。
「もしや・・・兄さまが呼んでいるのでは・・・。」
「あのバカが? 今さら、何の為に。」
「お父様・・・。」
「あり得ぬ・・・。」
「でも。もしも・・・もしも兄さまが生きておられるのならば・・・。」
「そこには、必ず神の姫がおられるのではありませんか?」
④に続く。
寄せては返す硫酸の波。
空を流離う薄紫の雲。
大地を覆う黒い緑。
天地創造の時代より、この世界の理は何ひとつ変わる事はない。
人・・・その存在を除いては・・・。
「ドゥオル。」
「・・・。」
「相談があるんだが・・・。」
「ダグ・・・お前がその名でオレを呼ぶ時はロクな事がない・・・。」
「ああ。」
「故郷に・・・みな、帰りたいのだろう・・・。」
「ああ。」
「先ほど報告が来た。やはり新しい井戸にも硫酸が混じって飲み水にはならないと。」
「ドール・・・。」
「子どもたちがいる。長旅。しかも、食料も、肝心の水すらも用意出来ん。ここから北の果てへ・・・一年は掛かるだろう。生きて辿り着ける可能性は皆無に等しい。」
「・・・解ってる・・・でも。」
「弱り切った女や子どもを連れて、馬もなく・・・村の外がどうなっているのかも解らない。故郷が今も存在しているのか、それすらも。多分、希望もない死への旅になるだろう。その決断を、オレに迫るのか?」
「お前しか、いないだろう。」
「勝手な事を。」
「解ってる。」
「無責任な。」
「解ってる。」
「ばか。」
「解ってる。」
ヒイナの死から、丸一日が過ぎていた。
最愛の娘を亡くした父親の悲痛な願いが仲間を動かし、村の意見は彼らの故郷へ旅立つ事で一致していた。
過酷な旅になるだろう。
しかも、帰った先に国が存在しているかは行ってみなくては解らない。
その上、旅立つ為の問題も山積している。
食料と、水。
まずはソレだ。
だが、どれほど思い悩んでも答えなど出るはずがない。
「水戦争で滅びた小国が幾つかあったはずだろう。」
「水が僅かでもあるなら、国は存在しなくても必ず人は存在する。争いは避けられない。」
「人肉が手に入る・・・。」
「ダグ、殺スぞ。」
集会所とは名ばかりの掘っ立て小屋で、ドールとダグは長い髪を掻き毟りながら地図を睨んでいた。昔、彼らが世界最強の剣闘士軍団として名を馳せていた頃の古い地図だが、この世界に存在する物としてはかなり正確な地図である。
さもあらん。
この地図を彼らに与えたのは世界を創りし神の娘。
彼らは初めてこの地図を見て、世界の広さや成り立ちを知ったのだ。
「昔・・・。」
「ん?」
「閣下の前で、俺たちはよくこうして頭を抱えたよな。」
「ああ・・・。」
「閣下はムチャな事を言うし、その度にお前はヘソを曲げるし、俺はいつも板挟みでヤケ酒だった。」
「・・・オレは悪くない。」
「はは。いつもそう言って、結局、閣下に押し切られたよな。お前は閣下に甘いから。」
「お前ほどじゃない。」
「最後の口説き文句が【ドール、お前にしか頼めない】だったっけ。」
「そして【ダグ、お前もそう思うだろ】だ。」
「はは、そうだった。」
血の336騎。
それが彼らの通り名。
彼らは身分の低さゆえ貴族出身の騎士たちからは決して快く思われていなかったが、エザンドーエン国民からは圧倒的な支持を受け、敵からは血の軍団と恐れられていた。
特に、彼らの主であるディオネイル・ロッド・リレイムは『鮮血の貴公子』と呼ばれ、神の聖剣を片手に戦場を駆ける姿はまさに深紅の戦神『ジェリード』であった。
愉しかったよなぁ・・・。
故郷を棄て去るを得なくなった彼らは、よくそう言って過去を愛でた。
国よりも平和よりも、彼らは一人の男をこそ愛した。
その男の為に戦場を駆け、勝利を手にする度、美酒と共に彼の名を飲み干し、彼の部下である己の幸運を噛み締めたものだ。
そして・・・。
あの美しい少女がその名を呼ぶのを聞く度、彼らは身に余る喜びにうち震えたものだ。
神の娘。
絶大なる力を持った裁きの女神。
その少女の美しい声で名を呼ばれる栄誉は、彼らの主だけのものだった。
③につづく
「どうだ・・・。」
「ダメだ。」
「そうか。もう、限界だな。」
「ああ・・・しかし、限界と言っても、もう我々には進むべき道はないぞ。このままでは、死ぬだけだ。」
血に塗れた娘の亡骸を抱いて、男が号泣している。
娘は枯れ枝のようにやせ細ってはいたが、つい数刻前までは笑顔を見せていた。
まだ15。
本来ならば、未来に乙女の夢を抱き、これからの一生に思いを馳せるであろう年頃だ。
だが、娘は死んだ。
大量の血を吐いて。
娘の手には、木製のカ゜ップが握られており、その中には僅かに水が入っていた。
硫酸の混じった井戸水だった。
「ヒイナ・・・ヒイナ・・・しっかりしてくれ・・・目を、目を開けてくれ・・・ヒイナ・・・。」
号泣する男は、ただ、娘を抱きしめている。
それ以外、何もしてやれる事がないからだ。
誰を責める事も出来ない。
否。
責める相手がいるとすれば、それは地の果てにいて男の叫びなど聞こえはしない。
尤も、今も生きているかどうか・・・それは解らないが。
そんな父娘を、痛ましげな眼差しで見つめている男たちがいた。
「もう、この井戸もダメだ。」
「この分では、新しい井戸を掘っても無駄だろうな・・・どうする。」
「どうすると言っても。もう南の果てだ。西は冷たい太陽に長年焼かれ続け黒焦げだという。東は、国境を軍で固め、ネズミ一匹忍び込む余地はない。」
「ああ。俺達なら戦うのは簡単だが、被害を考えると、な。水戦争で五大国の内、三国が滅びた。我らの故郷も大山脈の万年雪で何とか国を保ってきたが、既に限界だという。最も、風の噂に過ぎないが・・・。」
「故郷を棄て四年。南の地に移り住み二年・・・やっと手に入れた安住の地だというのに。ここまで生き延びて・・・たった四年で・・・。せめて、閣下がいてくれたら。」
「ドール。」
「ダグ。取り敢えず何人か集めて土葬してやってくれ。遺体をそのままにしてはおけない。伝染病のもとになってしまう。」
「解った。」
痛々しい眼差しを父娘に向けながら、しかし二人の偉丈夫は淡々と会話を続ける。すぐに遺体を処分しないと他の者たちにも影響を及ぼすからだ。
この村は小さい。
そして、滅びかけている。
「シダン・・・ヒイナを・・・。」
「ダグ・・・。」
「可哀想だが、葬ってやらねば。」
「ダグ・・・なぜだ・・・なぜ、我らがこんな・・・。」
「シダン。」
「なぜ、あの男を殺して神々に許しを請わなかったのだ・・・そうすれば・・・。」
「・・・。」
「閣下がいれば、姫様は我らに救いの手を差し伸べてくれた・・・きっと助けてくださった・・・あの男の首さえ天に翳せば。そうすれば・・・。」
シダンは、腕の中に横たわる血に塗れた娘の長い黒髪を、何度も何度も愛しげに撫で付け、うわ言のように同じ言葉を繰り返す。
あの男さえ罪を犯さねば・・・。
あの男さえ神との盟約を守っていれば・・・。
「シダン・・・。」
「閣下さえ・・・姫様さえ・・・いてくれたら・・・ヒイナは、ここにいる子どもたちだけは、きっと助かったはずなのに・・・。」
小枝のような娘の長い指先。
かつては短かったが、可愛らしく柔らかにふくよかだった。
「どうして・・・どうして、たった一人の男の犯した罪で、我らが死なねばならんのだっ。子どもたちに、何の罪があるというんだ・・・っ。」
涙は乾く事無くシダンの頬を流れ続ける。
呻くような嗚咽に交じり、海岸線を侵食する波音が遠くに聞こえる。
この世界、この大陸を覆う大海は硫酸だ。それ故、海岸線に村を作るなど凶器の沙汰だった。
けれど、彼らには他に住まう地がなかった。
この南の果てに辿り着けたこと事態、彼らには奇跡だったのだ。
たった一人の少女の導きが、彼らをこの地へ誘った。
そして四年の月日を彼らは生き延びて来た。
だが、限界だった。
最後の井戸が潰れた時点で、彼らは生きる術をなくしたのだ。
「帰ろう・・・。」
「シダン?」
「ダグ・・・帰ろう。俺たちの故郷に。エザンドーエンに。」
「シダン。」
「ここにいたって、もう生きる術はない。だったら、故郷に帰ろう。」
「しかし。」
「もしかしたら、閣下が生きているかもしれない。そうだっ。どうして考えなかったんだ・・・そうだよっ。」
「・・・え・・・。」
「ダグっ。どうして俺たち、考えなかったんだっ。閣下が死んだなんて、誰が確かめたんだっ?! もしかしたら姫様だって・・・そうだよっ。もしかしたら俺たちを探しているかもしれないっ。」
「シダン・・・おい、しっかりしろっ。」
「しっかりしてるっ!! だって、誰も二人の死を確かめた訳じゃないだろっ?! 閣下はともかく・・・姫様は神族だぞっ?! 何が起ころうと死ぬ事はないんだろっ??」
「それは・・・。」
「みんなで帰ろうっ。何処で死んだって今さらだろっ?! だったら、もう一度奇跡を信じようっ。少しでも閣下や姫様の傍に。」
「シダン・・・。」
「ダグっ。帰ろうっ!!」
②に続く